スーホの日記

これからの人生のために!

ゆるやかな脱グルテン・・・その後

ゆるやかな脱グルテンにチャレンジしたことを10月17日のブログに書きました。

 

suho3.hatenablog.com

 

グルテン体験を終え、その後のことについてご報告したいと思います。

 

2週間の脱グルテンの体験のあと、グルテンを解禁しました。

小麦を食べないってことに疲れてしまって・・・

だけど、小麦をちょっとは減らしましょうということで、朝、昼、晩の主食のうち、小麦が主食は1回!というように、ちょっとだけの脱グルテンの食生活をしております。

 

朝食にパンを食べた時は、昼食と夕食はごはん。

昼食にパスタを食べたい時は、朝食と夕食はごはん。

といった具合です。

その程度なんでストレスなく今まで続いています。

簡単に言うとパンの登場が減っただけ。

それまでは、朝食はパンとコーヒーって決めてたから。

そのせいで、お米の減りが早くなりました。

 

ありがたいことに下痢はしなくなりました!

お腹が強くなったかも?

 

一度だけ、昼食にペンネグラタン、夕食にうどんすきとビールを飲んだ日の夜中に腹痛になりました。その時もお腹が痛いだけで下痢はせず、翌日にはスッキリしました。ただの食べ過ぎだったのかもしれません。

 

このままこんな感じで続けてみて、次回の健康診断で数字に変化が出るのか検証してみたいと思います。

 

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前回購入した食材のうち、ライスパスタが残ってしまったので、にゅうめん風にして食べました。パスタとして食べるより、そうめんとして食べた方が馴染みやすい味でした。

 

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映画『スイング★ステート』

ただ大笑いしたくて見に行ったのですが、見終わった後は、シリアスな気持になりました。

 

アメリカの田舎の町長選挙民主党選挙参謀ゲイリーが関わり、対する現職市長側に共和党のやり手女性選挙参謀がつくことで、「仁義なき代理戦争」が勃発。

ニューヨークやワシントンDCから大金が集められ、どちらの陣営も負けられないドロドロの選挙戦に突入する顛末を描いた作品です。

 

地方と都会の金銭格差が浮き彫りになって、地方在住の私はあんまり笑えませんでした。

 

お金ってあるところにはあるんだなぁという印象。

あるところにあるたくさんのお金は、これといった使い道もなく、気分次第で流れていく。だけど本当にお金が必要な人達の所へは、簡単に流れていかないところが難しいところだなぁと思いました。

 

民主党共和党もやっていることは大差なく、映画の中で主張されている大義も現実としっかりと結びついているとはいえず、ゲイリーが笑えないジョークを連発する度に、見ている私もゲイリーや民主党から心が離れていく感じを味わいました。ただ勝利のために策を練って騒いでいるだけに見えてしまって、政治というものに失望すら感じました。

 

だけど見終わってみると、見ている人にそう思わせることこそがこの映画の狙いだと気がつきます。

 

私たちの感覚とは、ずれている、選挙参謀という人達を風刺する楽しい映画を作れる間は、まだアメリカも大丈夫ということなのかもしれません。

 

 

寂聴さんから 輝き続ける秘訣を学ぶ

NHKの特集番組の再放送を観ました。

ザ・プレミアム『いのちよみがえるとき 完全密着 瀬戸内寂聴』です。

 

初回放送が2016年の番組で、寂聴さんが93歳頃の日々の様子を寂庵などで密着取材して制作した番組です。高齢で、病を得て、老いているのだけれど、寂聴さんは朗らかに暮らしていて、時に原稿の執筆や法話を行う活動的な姿を見ていると、私ももっとがんばらないといけないなぁと自然に気合いが入りました。

 

番組の中でご本人が語られる人生はヘビーで波瀾万丈でたいへん興味深いのですが、私がこの番組で注目したのは、寂聴さんの生きる姿勢と生活の仕方の方でした。テレビ画面の中の日常生活には、長生きの秘訣、長く元気に生き生きと生活するコツがたくさん映し出されていたと思います。それらを私なりにまとめてみるとこんな感じです。↓

 

1)生産すること(寂聴さんの場合は書くこと)にこだわる

2)周りにたくさんの人がいる

3)自分をそのまま表現する

4)肉を食べる(しゃぶしゃぶ、すき焼き、焼き肉)

5)お酒も飲む

6)たくさんしゃべる

7)周りの人を楽しませる気持ちを忘れない

8)人の話をよく聞く

9)受け入れるべき事は受け入れる

10)豊穣な自分(我がいっぱい)

11)必要があればすぐにどこにでも行こうとする

12) 頼まれたことを簡単に断らない

13)周りの人の小さな変化に気付く

14)筋トレ

15)自分の歯?で食べる

16)定期的に公の場に出る

17)信仰がある

18) 若い人との交流

19)こうすべき! という縛りがない

20)相手を認めて自分も認める

21)  笑顔

 

 

こうやって書き出してみると、自分の心掛け次第で私にも簡単にできることがいっぱいあることに気がつきます。

これらのことを今すぐ実践すれば生涯現役で、かつ長生きもできるんじゃないかしら?

 

 

寂聴さんは出家しているお坊さんだけど、いい人いい人していない所が最大の魅力。

そのまんまの自分を常にさらけ出して生きているから、何を言っても嫌味に聞こえないのかな。そんな所も勉強になりました。

 

 

この番組の取材中に寂聴さんが執筆していた本も今度読んでみるつもり。

最初は老と病について書くはずが、『いのち』という小説になったようです。

自伝的な小説らしいので、この本にも長生きの秘訣が隠れているんじゃないかしら?

 

やっぱり、自分の思う通りに生きることが大事なんだと改めて思います。

だけど、自分を貫こうとすると、どこかで何かを捨てなければならないのかもしれません。それを体現したのが寂聴さんの人生。自分で決めて自分で行動しているから、恩着せがましくも押しつけがましくもないし、恨み言や愚痴もこぼさない。スッキリ生きるためには、結局のところ、自分のやりたいようにやるしかないってことですね。

 

 

 

 

 

 

 

日の出前にゴミ出しをする

今みたいに日が短くならないと難しいのですが、

日の出の少し前にゴミ出しをすると、

朝焼けを見ることができます。

 

西の空にはまだ星が光ってる。

 

静かで寒くてちょっとドキドキするけど、

新しい一日の始まりを感じられるひととき。

 

太陽が出てしまうと眼が痛くなるから肉眼で見えないけど、日の出前ならぼんやりとした東の空を眺めることができる。

 

私は西向きの部屋に住んでいるので、ゴミ出しのときはマンションの廊下を東のはじっこまで進んで行って、階段の踊り場から東の空を眺めます。

 

ゴミ出しの時間によって、景色が変わって見えます。

 

まだ暗い午前6時過ぎから、出勤する人もチラホラ。

お仕事がんばってください。

 

 

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飲み終わったお酒は・・・

日本酒も料理酒も、飲み終わったら、瓶の中を水ですすいで資源ゴミへ。

 

瓶の中をすすいだ水は、捨てずにスープを作る時に利用。

 

ほのかにお酒の風味!?

 

気休めかもしれないけれど・・・

 

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他力本願をやめる

自分のしたいことや自分の夢を誰かに預ける行為は厳禁。

 

期待が裏切られたときに絶望を感じるから。

 

どんな小さなことでもいいから、自分でやってみよう。

 

失敗したって構わない。

また挑戦すればいいだけ。

 

たくさん夢を抱いて、たくさん行動しよう。

 

そうすればぼんやりする暇なんてなくなるはず。

そうすれば誰かに腹を立てることも少なくなるはず。

 

やりたいことをやってみる自由は誰にでもあるから。

小さなことから始めてみよう。

「こんにちは」と言ってみる

雨の日の午後2時過ぎ。ランチを食べて家に帰る途中、向こうからキャラクターの水筒をぶら下げた制服を着た中学生の男子が歩いてきて、私に「こんにちは」と言いました。

 

キャラクターの水筒に気を取られていた私は、びっくりしてとっさにお返事ができず、三歩ほど進んでから小さな声で「こんにちは」と返しました。多分その声は雨の音にかき消されてしまって彼には届かなかったと思う。

 

でも、「こんにちは」っていい言葉ですね。

夜道で言われたら怖いかもしれないけれど、昼間なら大丈夫。

なんだか嬉しくて、楽しい気持ちになりました。

 

だから、私も「こんにちは」を言ってみました、

 

デパートの店員さんに。

 

「いらっしゃいませ」 と声を掛けられた時に、

「こんにちは」 と返してみた。

 

そうしたら店員さんから素敵な笑顔が返ってきて、私も笑顔になりました。

 

またやってみよう。

 

同じように

「ありがとう」

「ごちそうさま」

も使えるね❤

伝統工芸品を購入する

のれんをくぐって中に入ると、そこには漆塗りのお椀やお盆がたくさん並べられていました。

 

真っ赤なビール用のカップに手が伸びる。

とってもきれい。

ほしいなぁと思って手に取って眺めていたら横にいた夫に小声でダメだしされる。

(これは土産物だ)

私がきれいだと思って手に取った漆塗りのカップは汎用品らしく、木地の作りが雑なんだって。

私にはわからない・・・

 

こんなカップでビールが飲めたら最高だろうな!って思っただけなんだけど、いろいろ触ってみたら買う気持ちに拍車がかかって止まらない。

 

お店の人に他のカップもたくさん出してもらって、夫も納得のカップに決める。

自分一人で決められなかったのが情けないんだけど、価値が違うと言われると価値のわからない私は自信がないので、自分の好きにこだわりきれず。

 

夫と二人で選んだカップ

「このままでも大丈夫だけど、上から再度漆を重ねて塗りますよ」

ってお店の人が言ってくれたので、重ね塗りをお願いしてできあがりを待つことになりました。店主さんが職人さんなんです。

 

2週間位経って、「できましたよー」と電話があったのでお店に行ったら同じカップが二つ並べられてた。

 

「どちらがいいですか」

と聞かれ、また悩む。

2週間前に散々迷って一つだけ購入することにしたのに、また選択の問題が発生。

並べられた二つのカップは色は同じだけど、木地の厚さが違っていて、持ってみると重さも違ってる。

厚いカップはしっかりしていて重く、薄めのカップは繊細な美しさがあって薄い。

ぱっと見ただけでは分からない微妙な違いなんだけどね。

 

結局、もう一回悩むことになって、ここでも自分一人ではどちらか一方に決められず、両方買うことに・・・

何やってるんだろう私、と思いつつ、お店の人と楽しくおしゃべり。

普段はお店に入る人も少なくて、あんまり売れないんだって。

正直な人だ。

すごく楽しそうにお話してくれたから二個買ってよかった。

 

これからカップとの長い付き合いが始まります。

きっと何年経っても、使う度にどちらかに決められなかった自分のことを思い出すんだろうな。

 

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ゲームは1日1度

Microsoft Solitaire Collection

 

パソコンを使う度になんとなく遊んじゃうゲーム。

検索しようと思ってパソコンを開いても、つい寄り道クリックして遊んじゃうゲーム。

特にSpiderが私のお気に入り。

 

最近はMicrosoftの別のゲームもインストールして無料で楽しんでいるのですが、

ゲームをしているとあっという間に時間が過ぎてゆく。

新聞読んだり、本読んだりの時間がなくなってしまうので、

今日から1日1度に制限。

 

これが私の最初のチャレンジ。

 

 

豊かに生きるためのチャレンジを始めます

私の両親は80代。

私の住んでいる所から離れた所で、二人で生活しています。

帰省する度に体力も判断力も年相応に衰えてきていることがわかり、介護が必要な時が近づいているなと感じます。

 

母は、亭主関白で頭の固い父の言うことをよく聞いて、父に対して最大限に気を遣いながら自分を押し殺して生きてきた人です。

年を取っても、二人の関係は変わらず、身のまわりの世話を母に任せっきりの父と嫌なことも嫌だと言えずにイライラしながら父のために動き回る母。母は好きなこともやりたいことも封印して生きてきたから、心の中に不満がたくさん溜まっていて、帰省の度に私に愚痴をこぼします。

 

そんな母とは対照的に父は人生に満足して幸せそう。

 

この前久しぶりに帰省して父とおしゃべりしたら、最近元気のない母のことを心配していて

「俺はお母さんのおかげで幸せな人生を歩んで来れた。ここまで俺に尽くしてくれたいい妻だ。俺はお母さんを愛している」

と今まで聞いたこともないことを語っていて、衝撃。

 

「愛しています」という言葉は、最近急に陳腐化してる?

父の言葉は私の心には全然響かず、逆に言われた相手を縛る呪文のように聞こえました。言葉じゃなく態度や行動で示すのが本当の愛。

 

父の幸せが母の不幸の上に成り立っているとしたら、子どもにとってもそんな関係は辛いことです。子どもだけでなく、自分の親も幸せで自由に人生を生きてほしいから。親も子どもも幸せに生きてこそ、自分も幸せを遠慮なく感じられるんだ、と思いました。

 

母の心の中には父に対する不満が充満していて、自分のことを考えることができなくなっているように見えます。そして、自分の中から湧き上がる恨みと怒りで自分自身がどんどん衰えているようにも見えます。

 

自分の人生を生きることをあきらめたとき、人はちょっとぼやけてしまうのかなぁと思いました。

 

私も母に似ているところがあるので、元気がなくなってきている母の様子を見ながら、自分自身の人生や自分の考え方を今から軌道修正していこうと思いました。

 

これからの自分の人生や自分の心を豊かにするために、小さなチャレンジを積み重ねていくことにします。

小さなことでも自分で決めて、それを実行することが自分を豊かにすることにつながると思うんです。

その積み重ねが100個とか1000個とかになれば、私の気持ちも、私の人生も変わってくるんじゃないかしら?

 

とにかくやってみて、このブログで記録していきたいと思います✨

 

 

 

映画『ミス・マルクス』

資本論の著者カール・マルクスの娘、エリノア・マルクスの半生を描いた作品。

エリノア・マルクスのこともカール・マルクスのことも、どういう人だったのか知識がないままに鑑賞したので、映画を見て驚きました。

 

カール・マルクスは自宅で働いていた女性に手を出し、子どもを産ませていたし、エリノアの内縁の夫は芸術家気取りの放蕩者。生活感のない二人の男性の姿を見て、こんなのって今の世の中では通用しないぞ、と憤りも感じました。

 

そんな二人と比べるとマルクスを支えたエンゲルスは立派。工場を経営して稼いだお金でマルクスを援助。マルクスの死後もエリノアを支えていたようなので、やっぱり、人には現実的な面が不可欠。思想的、学問的にはマルクスの方が優れていたのかもしれないけれど、現実の社会で役に立つのはあくまでも実践的な人間なんだな、とつくづく思いました。だけど、実践的な人間はいい人、立派な人で終わっちゃうのかもしれません。

 

多分、カール・マルクスは普通の人じゃなかったと思う。

普通の人はまずは生きるために働いて、お金を稼いで、人生を楽しんで、周りの人の幸福のためにがんばる。これができてはじめて次のステップに進めるのではないかしら。

 

 

エリノアは内縁の夫であるエドワードがダメな男だとわかっているのに、裏切られても、友だちに別れることを強く勧められても、彼から離れることができません。エドワードを切れないエリノアの情けなさが見ていてすごく辛かった。頭がよくて社会運動を牽引する才人のエリノアでも自分を解放して、自分中心に行動することができず、ずるずると彼に引きづられてお金も時間も浪費してしまうのが、なんとももったいない感じがしました。自分を解放するって難しい。

 

家に帰って映画のことを改めて考えてみると、エリノアと同じ苦悩が私の中にもあることを感じました。

 

結局は父の望むように勉強して大学に行って、就職して、結婚して仕事辞めて、今は家事しながらパートしてる。父と夫を支える役割を今までなんとなく引き受けて、仕事でもらえる給料では自活は難しい。なんとなく枠にはまった人生をここまで歩んでいるのは私もエリノアと一緒。そして今までの人生を振り返って後悔しながら、次の一歩がなかなか踏み出せないところもエリノアと一緒。

 

そのことに気付いたときに、この映画の見方が少し変わりました。

社会を変えることを考えるより、自分を変えることの方が難しい。

自分を変えて枠に囚われずに生きていかないと、私もエリノアみたいにどこかで破綻しちゃうかも。

無駄な苦悩からは離れて、現実に目を向けましょう。

 

戦わないといけないね。

自分自身と。

自分を取り巻く環境と。

自分自身の感情や思考を頼りに、外から与えられたものじゃなく自分の中から湧き出るものを頼りに生きていかなきゃね。

 

今の時代の感覚で過去に生きた人を決めつけてはいけないんだなと思いました。

その時代に適応しながら、みんな懸命に生きてきたと思うから。

そう気付いたことで、自分の周りにいる母や義母の人生に対して少しだけ共感することができました。

愚痴ばっかり言ってないで行動すればよかったのに・・・

面倒で優しくない夫の世話なんかしないで、一人で働いて生きればよかったのに・・・

そんな風に母や義母のことを心の中で決めつけていた自分を反省。

仕方なかったんだよね、夫を補佐して自分の生活圏で精一杯生きるしかなかったんだよねって思うようになりました。

 

いろんなものに囚われている自分自身にも「仕方なかったんだよ、今までのことは。これからは、もっと楽しく、もう少し自由に生きていこうね」と声を掛けて励ましたい気持ちです。

 

今の自分の考え方で人を簡単に判断してしまうのは間違いの元。

こういう人もいたんだねと映画からのメッセージをそのまま受け取るのが正しい鑑賞方法かもしれません。

 

 

自分への信頼

美人の人は自分が美人って知っているのかな?

美人の人は、纏っている空気が違う感じがするから。

 

だったら、自分で自分を美人だと思って美人の空気を纏ってみよう。

笑っちゃうけど、美人のつもりになれば、人目を気にしておどおどする必要はなくなる。

人から美人と思われる必要はないんだ。

自分で思っていれば済む話。

自分への信頼こそが空気感。

 

素晴らしい人にだってなれる。

私って素晴らしいと思えばいいだけ。

決めるのは私、周りの人ではない。

 

今までなんでこのことに気付かなかったんだろう。

気付いたからには、忘れない

自分への信頼を。

 

ゆるやかな脱グルテンの食生活

9月中に3回も腹痛を経験して、脱グルテンに取り組む決心をしました。ポッコリしてきたお腹も気になっていて、これは、パンやパスタに頼った食生活が一因ではないかと思った次第。

 

厳格なものだと調味料に含まれる小麦もシャットアウトするらしいけど、私は主に主食の小麦抜きに挑戦してみました。期間は2週間。今までは朝はパンとコーヒーが定番だったのですが、それを改めてごはんやもちを食べることにしました。ランチのパスタやうどんもあきらめて、チャーハンとかそば粉100%のそばを食べました。

 

2週間のだいたいの食事は下記に↓

 

9月26日(日)

朝) 梅干しおにぎり ようかん コーヒー

昼) ごはん キムチ炒め 納豆 砂糖入りコーヒー

夜) ごはん 里芋の煮物 魚 キャベツのコールスロー

9月27日(月)

朝) ごはん 里芋の煮物 コーヒー

昼) 鶏挽肉のつくねバーグ定食

夜) ごはん 焼き茄子 豚肉の塩麹焼き キャベツのコールスロー キムチ

9月28日(火)

朝) ウィンナーとツナマヨのおにぎり コーヒー

昼) 米粉のパスタ(カルボナーラ) ようかん 砂糖入りコーヒー

夜) ごはん 肉豆腐 さば いんげんのごま和え

9月29日(水)

朝) ごはん

昼) 弁当

夜) ネギトロ丼 なすとシシトウの炒め物

9月30日(木)

朝) ごはん なすとシシトウの炒め物 コーヒー

昼) 弁当

夜) ごはん 酢豚 味噌汁

10月1日(金)

朝) ごはん 味噌汁 つけもの

昼) 弁当

夜) ごはん かに玉 ウィンナーのスープ

10月2日(土)

朝) 梅干しおにぎり コーヒー

昼) ごはん しゃけ キムチ炒め

夜) ごはん ロールキャベツ ジャーマンポテト ワイン

10月3日(日)

朝) きなこもち さつまいも

昼) チャーハン

夜) ごはん 回鍋肉 大根菜のふりかけ

10月4日(月)

朝) ごはん

昼) 弁当

夜) オクラ丼 とうもろこし

10月5日(火)

朝) きなこもち 砂糖入りコーヒー

昼) 10割そばに天ぷらをのせる

夜) 鶏肉とピーマンとたけのこの炒め物 おくらスープ ごはん

10月6日(水)

朝) ごはん 目玉焼き 野菜の甘酢

昼) 弁当

夜) ごはん 肉と野菜の塩麹炒め とうもろこし 野菜の甘酢

10月7日(木)

朝) ごはん 肉と野菜の塩麹炒めの残り

昼) 弁当

夜) ごはん かますの塩焼き キムチチゲ

10月8日(金)

朝) ごはん なすと砂肝炒め キムチチゲ

昼) 弁当

夜) ごはん かますの開き ゴーヤチャンプルー

10月9日(土)

朝) きなこもち 砂糖入りコーヒー

昼) オムライス

夜) ごはん 豚肉の生姜焼き 野菜の甘酢漬け

10月10日(日)

朝) のり醤油ごはん

昼) 天ぷらそば

夜) ごはん さば とうもろこし 野菜の甘酢漬け さつまいものツナサラダ

 

2週間の脱グルテンチャレンジ期間中は一度も腹痛になりませんでした。

効果あり?

チャレンジ終了後に飲んだ冷えたビールがとても美味しかったです。

 

2週間の体験を終えての感想は・・・

 

前日の残りや弁当用のおかずを利用すれば、白米があるだけで思ったより簡単にパンの生活から離れることができるとわかった。

小麦は生活を彩る食材だなぁと思った。

パンやパスタやラーメンは、単調な白米生活に輝きを与えてくれる存在だと気付く。

下痢は避けられたけど、便秘になった。

体重は初日と比べると0.5キログラム減少(誤差の範囲か?)。

ポッコリお腹は変わらず。

おかず重視で考えないと、毎日の食事がつまらなくなる。

なんとなくの不調がなくなり、ちょっと元気だった。

ビールが飲めないのは辛い。

天ぷらがすごく食べたくなり、天ぷらそばを食べた。

パンを買わなくなった分食費は減ったかというとそうでもない。

ゆるやかな脱グルテン生活終了の2日後から背中と肩がすごく痛くなり、しばらくの間凝りに苦しむ(因果関係は不明)。

 

総括すると、ごはん中心の食生活でお腹と脳が軽くなるように感じました。

これはすごいこと!!

だけど、このままグルテンフリーな食生活を続ける自信はありません。

朝、パン食べたり、お昼にうどん食べたり、ラーメン食べたり、パスタ食べたりしたいから。

今まで朝はパンとコーヒーと決めてたけど、和食の日を増やして、一日の中で小麦が主食を1回のみに限定するよう気をつけることにしました。我が家は夜はごはんなので、朝がパンなら昼はごはん、昼が麺類だったら朝はごはんにするつもり。

 

米粉米粉でできたパスタを購入しましたが、米粉パスタはやっぱり小麦パスタには負けちゃうと思いました。パスタを食べるならやっぱり小麦。

 

いろいろ試行錯誤して小麦との付き合い方を見極めていきたいと思います。

 

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映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』

選挙も近く行われるとのことで、今回は国会議員が登場する映画をご紹介。

 

主人公は、衆議院議員小川淳也さん。

 

民主党から希望の党へ、比例復活当選後に無所属となり、現在は立憲民主党に所属。30代で政治家を志してから紆余曲折。いろいろあった彼の日常生活がカメラに収められているドキュメンタリー映画です。

 

本人は涙もろくてすぐ泣いちゃうし、奥様もお子さんもご両親もみんないい感じの普通の人たちで、いい人に囲まれて誠実に政治に向き合っている主人公の姿に感銘を受けました。でも、そんな普通の人だからこそ、彼のお父さんが言うように、本当は政治家向きじゃないのでは?なんて、見ている側も思ってしまうほど、政治の世界は一筋縄ではいかない特別な世界なんだということが、この映画からも伝わってきます。

 

それは民主党のドタバタや彼を取り巻く政治家の発言や行動を政治家小川淳也の視点で眺めることができるから。小池百合子さんのこと、玉木雄一郎さんのこと、枝野さんのこと、蓮舫さんのこと、前原誠司さんのこと、会話の中に彼を取り巻く政治家の素顔がチラリと垣間見られて、面白かったです。政治家って濃いわ~。裏も表も表の裏も、政治家にはいろいろな顔があるようです。そう考えると、この映画で描かれている小川淳也さんの姿も、ある一面でしかないのかもしれませんね・・・

 

この映画の中では、彼自身の政治信条についてもたくさん語られています。その政治信条は政治家を志したときから変わってないとのことで、説得力があります。これをするために政治家になったんだ!と熱く語る彼の言葉に私も心を動かされました。政治家はやっぱり言葉が命。言葉で人を動かすことができるのが政治家なんだなぁと改めて思いました。

 

でも実は、この映画の中で一番感動したシーンはブレーンである井出英策先生の応援演説。温かくて、すっきり!はっきり!している演説で支援者や家族の人達の心に届き、みんな涙ぐんでました。それを見て私ももらい泣き。井出先生が描く未来の日本の姿は、私にとっても居心地のいい世界のように思いました。そんな世界をつくるためにがんばるなら、この厳しい選挙戦も最後まで戦える!ってその場にいた支援者の人達はみなさん思ったに相違ありません。

 

井出先生こそ政治家向き?

かもしれないけと、言葉だけでもうまくいかないのが政治の世界。

 

家族や秘書、支援者や党の仲間、国会の人々、政治評論家、有権者・・・いろいろな人と関わって、話を聞いて、考えて、決定して、行動して、訴えて、政治家の人って頭や言葉だけでなく、いろいろな人とつながって自分を取り巻く大きな輪を先へ先へとつなげていかないといけない仕事なんだなぁって思いました。

 

動くこと、巻き込むこと、それって私に足りない部分でもあるので、動き回っている小川淳也さんとその周囲の人達の姿は、輝いて見えました。やっぱり人って一人で考えてるより、いろんな人と一緒に行動したり、活動したり、語り合うことで元気がでるものなんですね。

 

大義と現実。志があっても党内で力を持たないと影響力は発揮できないとのこと。政治の世界は外から見てると面白いけど、中にいたら本当に大変なんだなぁと実感しました。こんなに大変だったら、誰も政治家になろうと思わないかも。でも、このままだと、政治家が家業の二世、三世だらけの国会になってしまって、それも私たち普通の国民にとってはいいことではありません。もう少し普通に、もう少しゆるく政治家になれないものかなぁ。地盤・看板・カバンなしの彼が生き残っていくことが、そういう日本の政治を変えるためには大事なことなのかもしれません。

 

映画の中でチラリと映った小川淳也さんの手のひらには一本の太くはっきりした横線。この手相はもしかして “ますかけ線?” 

このままがんばって続けていればいつか大きな夢がかなうかも。

ご健勝をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『ドライブ・マイ・カー』

何年か前にこの映画の原作になってる本(村上春樹短編小説集『女のいない男たち』)を読みました。短編集の中でも特に印象に残ってる作品だったので、映画化されたと知り、喜んで見に行きました。小説の詳細は忘れてしまったけど、あらすじはなんとなく覚えていたつもり。あの短編を3時間(正確には179分)の映画にするってどういうことなのかな?という点も興味ありました。

 

見終わって思ったのは、物語の骨格は小説のままだけど、内容は異なる2つの作品だった、ということ。

 

ドライバーのみさき以外の登場人物の設定が少し違っていて、特に主人公の妻と関係を持っていた高槻(岡田将生)の人物像が原作と映画では大きく異なっていると感じました。

 

役者が演じると役者のキャラクターや演技によって、登場人物が脚色されてしまうので、私が小説を読んで勝手にイメージしていた人物と相違が出てしまったのかもしれません。

 

でも、そのことについては、多分映画の作者も承知の上だったのかな、と思います。だから映画の中の『本読み』とか『そのまま受け取る』というセリフが映画を見ている人に効いてくる。

 

この映画をそのまま見てそのまま受け取って帰って下さい。

そして、映画のなかのできごとをあなたの人生に役立ててください。

そんなメッセージが聞こえてくるように感じました。

 

主人公の家福(西島秀俊)の妻は急死してしまうんだけど、もうここにはいない人、話すことや直接聞くこともできない人についてあれこれ考えるよりも、一緒にいた年月をそのまま感じることが大切なんだよーってわかったときに、人は次に進めるのかなぁと思いました。だから、映画を見る人にも同じことを求めてる?

 

ただ、この映画は人によって受け取り方は様々なんじゃないかなと思います。

家福の高槻に対する復讐と考えればサスペンスになるし、

つらい過去を乗り越えて気丈に生きてきた23歳のドライバーみさきの成長物語でもあるし、

「ワーニャ伯父さん」という舞台が完成するまでが描かれてるし、

短絡的な高槻の暴走がテーマなのかもしれないし、

東京から広島へ、そして北海道(から韓国)へと続くロードムービーとも思えるし、

 

やっぱり3時間の中にはいろいろな要素が詰めこまれていて、映画を見終わって、そのままを受け取りながらも、あれこれ考えさせられる作品になってるところがすごいなと思います。

 

ただ、私にはラストシーンが謎でした。

その謎を解くのがこの作品を解明する鍵になるのかな?

んーむ。それって考え過ぎかな?

韓国で終わりたかっただけなのかもしれません。