スーホの日記

これからの人生のために!

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

職場の同僚に恥ずかしがり屋さんがいて、「人前に出たくない」と言うので私が人前に出る仕事をすることが多くなりました。発表したり、講座を受け持ったり。仕事で人前に出て何か話すためには準備が必要だし、話し終わってからも、あれで本当によかったのかな?と反省したり、猛烈に後悔したり、一旦引き受けるとその前も後も結構大変です。でも、「そういうのは苦手」と言う人に無理にやってもらうより、私がやった方がいいのかなぁと思って引き受けています。

 

映画に出てくる志乃ちゃんは、吃音があって、人前で名前が言えない女子高校生。でも実はきれいな声で歌を歌うことができます。志乃ちゃんの同級生の加代ちゃんはミュージシャンを目指してギターを練習しているけど音痴。そんな二人が二人の長所を組み合わせてギターと歌のデゥオを結成。文化祭のステージに立つという目標に向かって努力を続けます。

 

順調に人前で歌う経験を積んでいく二人に同級生の男子菊地がからむようになって二人の関係が崩れてゆきます。

 

三人がぶつかってバラバラになった結果、それぞれの問題にそれぞれの方法で決着をつけていくという結末。

 

〇苦しいことは、逃げずに乗り越えていかないとだめなんだなぁ

〇若いからこそ、お互いにぶつかることができるんだなぁ

〇優しく接するだけでは人は変われないから厳しい言葉も時には必要

〇志乃ちゃんにとっては、加代ちゃんが太陽で菊地が北風だったんだね

 

映画を見終わって、そんな感想をもちました。

 

大人になったら、厳しいことを言ってくれる人は周りにいなくなるから、自分で殻を破って生きていかないといけないのよね。

人は人との関わりの中でしか変われないのかな。

恥ずかしがり屋さんに「やってみたら」が言えない私は、その人の変わる機会を奪っているのかもしれません。

 

 

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

タラ・ウェストーバー『エデュケーション』

エデュケーション 大学は私の人生を変えた (ハヤカワ文庫NF)

 

「大学は私の人生を変えた」という副題がついたこの本。

やっぱり教育は大事なんだ!って私も思ったのですが、この本が指す教育は学歴とは違う意味での教育。教養に裏付けられた生きる指針みたいなもののことです。

作者のサラ・ウェストーバーはアメリカとイギリスの大学でそれらを身につけたけど、日本の大学でそれらを身につけることができるかな?

就職のためだけに大学が存在しているのであれば、大学は本当の教育の場にはならないと思いました。

 

モルモン教を狂信的に信奉する両親に育てられたタラの兄弟は、学校教育を受けずに自宅で幼いときから両親の仕事を手伝いながら大きくなります。大怪我を負っても医者にかからず、父の考える神の意思に従って暮らす日常には、暴力的な要素がたくさんあります。

 

サラが父や父の影響を受けた母や兄からの支配から脱するきっかけは、大学への進学。

大学生活に馴染むにつれて、自分の家族との関係に異様なものを感じ、心揺れるタラの苦悩と苦闘がこの本の中に、たくさん出てきます。

 

家から出て、寮生活をして、大学という環境にひたり、学ぶことで行きつ戻りつしながらも一人の個人として尊重される自分自身を取り戻してゆく姿に、心が揺さぶられました。

 

学ぶって自分が変わることなんですね。知識を覚えるだけじゃない、本当の学びの尊さ、大変さがわかる本でした。

 

読後思い出したのは『嵐が丘』という古い映画。

孤立した家や家族のなかで繰り返される虐待。

大学という場でなくてもいいから、外の世界とつながることが虐待の連鎖から逃れる手立てなのかもしれません。

 

嵐が丘 «IVC BEST SELECTION》 [DVD]

春のワクワク

商店街を歩いていたら、急に心にワクワク感が去来。

いつもと一緒の商店街なのですが、その瞬間、明るい洋服を着た女性に囲まれていたことに気がつきました。

年代は様々な女性達。

明るい色の服と笑顔があれば、周りの人を元気にできる!

新発見!

 

そう言う私は上下黒っぽい服装。

グレイヘアにしてから、なんとなくダークな洋服を選んでしまう。

これからは、明るい色を少しずつ取り入れたいな。

 

春は人の心を動かす季節ですね。

 

華やかなモノに惹かれる人の気持ちがわかったような気がしました。

自分に足りないモノを求める気持ちなのかな。

私がそれだけ年齢を重ねたということなのかもしれません。

 

映画『ハッピーフライト』

テレビで放映されていた映画を録画して鑑賞。

前に見たことあるなぁ・・・と思いながらも楽しく最後まで見ました。2008年公開の映画なので最近の映画ではないけれど、新たな発見がありました。それは「腹をくくる」ってすごいってこと!

 

旅客機がお客さんを乗せて目的地に到着するまでの工程には様々な人が関わっていて(地上職員、保安検査員、管制官パイロット、客室乗務員、整備員・・・)、それぞれの持ち場には、与えられた職務を懸命に遂行している人達がいます。この映画はそんな日常の飛行場や機内の仕事の風景をわかりやすく、楽しく伝えてくれます。それだけでも面白いのですが、バードストライクという非常事態が発生し、特別な対応を迫られ、緊張感いっぱいの中で懸命に働く人の姿を通して、仕事って一人じゃできないし、一人の仕事は別の人の仕事にも影響を与えるものなんだなってことが映画の中の緊迫感と一緒に胸に迫ってきます。特に原田機長(時任三郎)と山崎チーフパーサー(寺島しのぶ)のリーダーとしての対応や態度が素晴らしかった!腹をくくるってこういうことなんだなってわかった気がしました。

 

パイロットも客室乗務員も危機に対する訓練を受けているから、困難な状況でも冷静でいられるのかもしれないけれど、飛行機と客室を預かるそれぞれのリーダーへの他のメンバーからの信頼感は半端ないなと思いました。リーダーの存在感は危機において際立つし、危機において平常心を保って行動するためには、修羅場をくぐる抜けた経験と日頃から真剣に仕事に取り組む姿勢を周囲のみんなに認めてもらう必要があるんだなと思いました。それって簡単なことじゃないです。

 

私の身近にいる働く人達を見てみると、仕事ができるフリをするのは一生懸命だけど、責任はとらず甘えたい人が結構いるし、言われたことしかしない人もたくさんいます。何かの時に頼りになるのは、逃げずに一つ一つの仕事に向き合ってきた人。そういう人に出会うと嬉しくなります。そういう人と出会うには、自分自身も逃げずに仕事をする姿勢が必要。逃げないって大事。

 

ハッピーフライト』の監督、矢口史靖監督のもうひとつの作品『WOOD JOB~神去なあなあ日常』では逃げるタイミングを逃してしまった若者が成長してゆく姿がコミカルに描かれています。この映画も楽しいのでオススメ。働く人の覚悟が違った形で描かれています。

 

ハッピーフライト』も『WOOD JOB』も楽しい映画なんだけど、楽しいだけじゃなくて、逃げないでそこにいる、そこにいて強くなる人の姿を描いているのが共通しています。きっと矢口監督も逃げない人なのかもしれません。それか逃げられなかった人!?

 

人って逃げられない状況に身を置かないと腹をくくれないのかな。

 

 

ハッピーフライト

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楠木新『転身力』

夫婦共にあと何年かで60歳を迎えます。

これから先のことを、どうしてもあれこれ考えてしまうこの頃。

そんなタイミングで図書館でこの本を見つけて借りてきました。

転身力-「新しい自分」の見つけ方、育て方 (中公新書 2704)

 

有名人に限らず市井の人など、様々な人の転身が紹介されていてなるほどなぁと思いました。この本を読んで一番うなずいたのは、この気付き。

 

 既存のシステムをそのまま取り入れるのか、それともそれ自体の意味を問い、疑う姿勢を持つのかの違いと言ってもよいかもしれない。中高年以降になると両者のどちらかに分離していく傾向がある。既存のシステムやモノサシの是非について深く考える人や疑問を抱く人は、組織の中ではエリートにはなり得ない。

 また既存のシステムやルールを疑っていない人は、自らの関心が収入(お金)や役職など限定的になりがちである。・・・(P.82)

 

そうなんですよね。

私の身近にいる再就職組の方は明らかに後者で、しっかり者だけど省エネタイプ。職場での身の処し方をマスターしているので要領はいいけど、一緒には組みたくない人。なぜそういう働き方をするか疑問だったけど、この文章を読んで腑に落ちました。

 

仕事について悩んだり、わからないことにぶつかって右往左往したり、仕事に無駄にエネルギーを注ぐことはエリートのすることではないかもしれないけれど、個人的にはいいことなんじゃないかなって思いました。だって、一生懸命、体当たりでやるからこそ見えてくるものが私にとっては財産になってるって思うから。

 

仕事に対する考え方一つとってもいろいろな人がいます。

 

この本を読んで転身力の高い人でパッと思い浮かんだのが紗栄子さん。

タレント、モデル、実業家と華麗なる転身を続けています。

著者の楠木さんが掲げる転身の三条件をクリアしている点にも注目。

 

転身の三条件と行動

①実行、行動できる(フィードバックを受ける)

②自分を語ることができる(自分自身を客観視する)

大義名分を持つ(主体的である)  (P.42)

 

華々しさはなくてもいいから、私もこれから泥臭く地道に転身していきたいです。

そのためには、とりあえずやってみることの大切さを改めて教えられました。

 

足を怪我して気付いた大切なこと

足首を捻挫して3週間目に突入。装具で足首を固定して過ごしています。

実は腓骨の端を剥離骨折していて、今度ひねったら手術だよ!と整形外科の先生に言われて、慎重に日常生活を送ってきました。

最初は仕事をお休みさせていただき、それから何日かは夫に職場に送迎してもらったりタクシーを利用して過ごし、その後バス通勤へと移行。痛みのある足をひきづりながらの生活にも慣れてきました。

 

大変だけど、足を怪我して気付いたことがたくさんありました。

 

細かい損得勘定は不要

〇治療費

〇交通費

〇多分もう履くことのない新しく買った靴代(2万円)

  新しい靴を買ってすぐに怪我しました。たぶんもう履きません。

〇2月に予定していた帰省のための早割航空券代のキャンセル料(1.5万円)

 

こうやって書き出してみると総額5万円くらいだから、落ち込むほどの金額ではないのですが、なんだか損しちゃったなぁって最初は思いました。

楽しい予定もいくつかキャンセルしたし、治る怪我だということが分かってホッとしたら、急にお金が惜しくなる・・・情けない思考回路。

損したなぁ・・・と考えると落ち込んでしまい、なんで怪我したんだろう・・・と負のループに突入。何事も損得を考えてしまうっていいことではないと実感しました。

支払わなきゃいけないお金は気持ちよく支払うべし。

コスト=損ではないし、コストがかかったからその分取り戻さなければいけないってことでもない。日常生活においては損とかコストという考え方から離れて生きた方が、精神的にはいいみたい。

そのことに気がついて、あまりお金のことを考えなくなって楽になりました。

 

たくさんのありがとう

優しかったタクシーの運転手さん

通勤に間に合うバスの便があること

洋式トイレの存在(しゃがめないから)

舗装されている道路(段差が越えられないから)

ショッピングカート(支えになります)

宅配してくれる生協

送迎してくれた夫

気遣ってくれた同僚

歩くことのできる足

回復していく身体

病院

取り外し可能な装具(便利)

 

いろいろなものに支えられて生きていることを実感しました。

税金だってバス便の維持や道路の整備に使われていると考えると気持ちよく負担できます。私たちは、だれもがこの社会の一部で、気付いていてもいなくても何らかの形で支え合って生きているのだなぁとしみじみ思いました。

普段は、自分中心の夫もできる範囲で私に協力してくれて、不機嫌な顔もしなかったし、怪我をした私が落ち込むようなことも一切言わなかったので、ありがたいなぁと思いました。

 

 

怪我が治ったら、私の元気を社会に還元していこう!

それは小さな思いやりでも税金の負担でもいいのかも。

でもなにより一番大事なのは、私がイライラせずに楽しく生きること。たぶんそれが周りの人にとっては一番ありがたいことなんじゃないかな。夫が機嫌良く生きているのを見ていてそう思いました。

 

自分中心って大事

 

なんとなくあくせく生きてきて、つまずいて、これじゃだめだなぁって思いました。離れて暮らす高齢の両親の生活をできる限り援助しなきゃって思って頑張ってきたけど、まずは自分を大事にして、できる範囲で楽しく介護するのが基本。やってあげてるっていう感じじゃなくて、なんとなく側にいてくれて、なんとなくできることをさりげなくやってくれて、そっと支えてくれるという形が今の私にとっては、とてもありがたかったので、私もそういう形で両親をはじめ周りの人と共にありたいなと思いました。

 

そのためには、自分がハッピーじゃないとね!

 

今までの私は、夫が同じように悩んでくれないことに憤ることも度々でした(子ども達のこととか)。でも、私が怪我しても普段通り楽しそうに出掛けたり、仕事している夫を見て、夫に負担をかけて悪いなぁと感じることはありませんでした。自由すぎるとは思ったけど、夫に対して気を使うこともなかったので、結果的にそれが一番ありがたかったんです。

 

だから私もこれからは自分の人生と自分の気持ちにまず集中。

休みたいときは休むし、楽しいと思うことには貪欲になるし、友だちづきあいだって我慢しません。

自分がハッピーでいることが周りをハッピーにする。

そして私も周りの人がハッピーでいることを喜べる人になりたいです。

 

 

 

ファイナンシャル・プランニング技能検定1級

捻挫して仕事を何日か休ませてもらいました。

 

家事もあまりできず、土日も含めて家でボーッと過ごしていたら、ふと何かに取り組みたい気持ちが出てきて、FP1級の問題集を解いてみました。

そうしたら、3割くらい正答!

問題文を読んでも、全くわからないってことはなくて、書いてあることは理解できるということがなんだか嬉しくて、ここから長い道のりになるのはわかっているけど、FP1級のテキストを揃えてしまいました。

 

 

FP3級の試験に合格したのが2014年。

昨年(2022年)2級に合格。

途中勉強を断念した期間もあったけど、8年越しでの2級合格で一区切りのはずが、今から1級合格を目指すとなると、いつまで勉強を続けたらいいのでしょう!? という感じ。

 

FPの資格で仕事をする予定もなく、今のところ履歴書に書くためためだけの資格ですが、お金のことを考えるのが好きなので時間がかかってもいいから、毎日コツコツと勉強をしてみようかなと思った次第です。

 

ファイナンシャル・プランニング技能士1級を取得するには二つの道があります。

参考↓

www.kinzai.or.jp

 

一つは、一般社団法人金融財政事情研究会(きんざい)が実施するファイナンシャル・プランニング技能検定1級の試験に合格すること。1級は学科試験に合格した後に実技試験にも合格しなければなりません。私は2級の試験に合格しており、過去に何年か経理部で働いていたことがあるので実務経験もクリアしていて、1級の学科試験の受験資格があります。費用は学科試験が8900円(2023年1月現在)実技試験が28000円。2級と同じで年に3回学科試験の受験機会があります。試験に合格すれば資格が手に入るというシンプルな方法。

 

もう一つは、日本FP協会でAFP資格の認定を受け、CFPの試験に合格した上で1級ファイナンシャル・プランニング技能検定1級の実技試験に合格するというものです。

 

2級に合格している私は、AFPの認定研修を受講し、AFPに登録した上でCFPの試験を受けることになるようです。AFP認定研修の受講料が最安8800円~(2023年1月現在)。AFPに登録するために入会金1万円、年会費12000円必要です。AFPに認定後に受験するCFPの試験は6科目の科目に合格しなければならず、受験料は1科目5500円、6科目27500円で受験する科目数によって受験料が異なっています。一度合格すると科目合格に期限はないようです。何年かかっても1科目ずつ合格して6科目合格すれば資格を得ることができるというわけ。

 

6科目すべてに合格後CFPの認定研修を受講(受講料は無料)して修了し、3年間の実務経験(みなし実務研修の受講でも可)があればCFPに登録できます(要登録料)。CFPに登録後も教育を受けて2年間に30単位を取得しないと資格の更新ができない仕組みとなっているようです。

 

CFPの資格があればファイナンシャル・プランニング技能検定1級の実技試験が受験できるので、実技試験に合格すれば国家資格で更新の必要のない1級合格が手に入ります。また、CFPの資格がなくてもCFPの資格審査試験に合格すれば実技試験を受験できるようです。

 

CFP経由の1級合格は、科目合格を積み上げていけばいいので楽なように思えるけど、資格の登録をしたり、研修を受講したり、手続きが煩雑で費用もかかる気がします。

 

だから私はきんざいの学科試験1発勝負に挑戦することにしました。

何年か勉強したら気が変わるかもしれないけど、まずは一度1級の学科試験を受けてみることにします。何点とれるかな?

 

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合格トレーニング FP技能士1級 2022-2023年 (TAC出版) (よくわかるFPシリーズ)

厚底のウォーキングシューズ

前回のブログ(介護予防体操)で身体を動かすことの重要性を再認識して、小まめに歩いていたら、足首を捻挫してしまいました。

 

少し前に購入した厚底のウォーキングシューズで早足で歩いていて、着地に失敗。右足の足首をぐにゃりとひねってしまい、捻挫。その日のうちに整形外科に診察してもらい、装具で3週間程度固定することになりました。

 

最初は歩けたけど、だんだん足首が腫れてきて、少しでも段差があると恐怖を感じるようになりました。整形外科の先生の指示に従って、RICE。

 

RICEとは

 

R(Rest)安静

I(Icing)冷却

C(Compression)圧迫

N(Elevation)拳上

 

のことです。

 

なかなかツライ 怪我からの1週間

毎日少しずつ、痛みがとれていくのを感じられることが救いでした。

 

RICEを1週間ときどき続けていたら、1週間後には大分症状が改善しました。

腫れが引いてきて、まだ少し痛いけど歩き方もスムースになってきました。

その後の2週間もしっかりと足首を固定して、同じように挫かないように生活します。

装具さえ着けていれば歩いてもオッケーと言われましたが、右足に力がかかるとまだ少し痛みがあるので、あんまり自由には歩けません。トホホ。

 

今回の捻挫は私の筋力不足が一因だと思うので、厚底靴を悪者にするのは、よくないと思いますが、素人は安易に手を出さない方がいいのがこの靴だとも感じました。履いていると前へ前へ進むという推進力は大いに感じるのですが、着地時の安定性には少し欠けるところがこの靴にはあるのかなと思います。散歩程度のウォーキングなら、厚底靴は不要。しっかりと地面をキャッチしてすべらない靴で歩きましょう。

 

強い骨を作ることの重要性も感じました。

カルシウムを摂取して、日光をちょっと浴びて、運動して強い身体を作りたい。

 

今回の怪我の経験をこれから60歳を迎える私の糧にしたいです。

 

厚底のウォーキングシューズに気をつけてください。

 

 

介護予防体操

母と一緒に自治体が毎週開催している介護予防体操の教室に行ってきました。

 

母は三ヶ月前にこの教室に申し込んで、一人で参加していたのですが、「もう辞めようかな・・・」と言って行くのを渋るようになったので、なかば無理矢理娘の私も同行してみることにしました。

 

会場に入ったら、事前連絡なしの私も参加OKと言ってもらえ、見学から体験に変更。

45分間の体操をみなさんと一緒に体験することになりました。

 

この日の参加者は7人。先生は4人。無料で参加できる教室であることを考えると、なんともぜいたくな構成です。広めの教室には、人数分の椅子が適度な間隔で並んでいました。

 

先生のあいさつと行事の告知のあと体操開始。

先生の動きを見ながらみんなで一緒に身体を動かします。はじめは椅子に座って簡単な動きから。20分ごとに休憩があって水分補給。休憩後にお手本の先生が交代します。2回の休憩後、最後は立って(希望者のみ)音楽に合わせて全身運動。先生以外の人が見守ってくださる中、安心してのびのびと体操をすることができました。真剣に取り組んだので、かなり疲れました。ストレッチ的な要素の多い運動ですが、普段使っていない筋肉を使ったからか、翌日は軽い筋肉痛になりました。参加者がいて、先生がいるから45分間もがんばって体操できるんだとわかりました。

一人では、こんなにがんばれません。

 

体操の後は、先生に挨拶をして各自バラバラに帰ります。

参加者同士で親しくなるわけでもなく、サラリとしているのがこの教室の特徴。毎週同じ体操をしているようなので、三ヶ月も通うと飽きてしまうのかもしれません。身体にいいのは、体験して実感できたけど、それだけでは続ける理由にならないのかもしれません。母が「辞めようかな・・・」と言うのも分かる気がしました。

 

4名の先生達は、いきいきとして楽しそうでした。58歳の私と同じかそれ以上、多分60,70代の方々なのかなぁとお見受けしました。生徒で参加するより、先生として取り組んだ方が長続きしそうです。とっても優しくて、穏やかな先生達だったので、私もこの仲間に入りたいなぁと思いました。母に聞くとほぼボランティアで介護予防体操の先生をやっているらしいとのこと。毎週、いろいろな会場で体操をしているらしく、忙しいみたい。大変だなぁ、体力持つのかなぁと感心してしまいました。

 

先生達は、仲間がいるからがんばれるのかな。

母にも、一緒に体操に取り組めて、体操の後は、ちょっとおしゃべりができる仲間がいれば、楽しく続けられるのになぁ。だけどコロナ渦だから、交流も難しいみたい。母は、自分から人に声をかけるタイプではないので、友だち作りも簡単ではありません。

 

辞めるか続けるか、母はまだ決めかねてるみたいだけど、自由に休めると聞いたので、しばらくは、気が向いたときに参加すればいいのかな、と思いました。

 

母のおかげで、こういう場があることを知ることができたのが、今回の私の大きな収穫。探せば身のまわりにいろいろな機会が転がっていることがわかって面白かったです。いろいろな機会をキャッチするのは、自分の積極性にかかっているのだなと思いました。

 

今回は母のために、母と一緒にだったから、いきなりで無理矢理な行動を選択できたけど、自分のことだったとしたら、とりあえず行動する勇気が持てたかな?とりあえず行動する勇気を持って生きた方が得るものは多い!と気付いた介護予防体操体験でした。

 

 

 

瀬戸内寂聴と伊藤比呂美のエッセイ

同時に読んでた2冊のエッセイ。

瀬戸内寂聴『今日を楽しく生きる』と 伊藤比呂美『ショローの女』

2冊の本には、いくつかの共通点がありました。

 

〇飾らない短めの文章で綴られている

〇読むと元気になる

〇日常なんだけど豊か

〇いろいろあったけど、とりあえず今は一人

〇伝える仕事をしている

   僧侶と大学の講師

〇文学との関わり

   小説と詩

 

エッセイを書くということは、そのままの自分を表現しながら、自分の中の無意識に気付くこと。気付いたら、その無意識と向き合うことなのですね。

 

書いてある物を読んでいると簡単そうに見えるけど、いざ書こうとすると難しいのがエッセイ。いい文章を書こうとする自分の欲が、いつも私の邪魔をする。そういうところを感じさせない瀬戸内寂聴さんも伊藤比呂美さんも、やっぱりとてつもない方々です。

たくさん書いてきたから、そういうところにたどり着けたのかな。

 

お二人とも、自分の人生や自分が会得した文学のエッセンスを惜しみなく伝えるお仕事をしているところも凄いなと思いました。

その伝える過程が文章にしてあって、その部分がまた、めちゃめちゃ面白かった。

 

文学を愛して、文学に取り組んで、そこで得たものを人に惜しみなく伝えて年を重ねてゆくと、とっても素敵な大人になるんだなっていう見本のような二人。やっぱり私も奥の深いものに取り組みたいな。

 

 寂聴先生が「小説を書きなさい」とおっしゃる。問題を抱えた人との対談でお約束のように「小説を書きなさい」とおっしゃる。あたしも言われた。あたしはそれを「詩」に置き換えたい。何かあったら、とりあえず詩を書こう、と。それがわたしの早稲田の三年間の結論なのかもしれない。 (伊藤比呂美『ショローの女』P.222)

 

伊藤比呂美さんは、瀬戸内寂聴さんの薫陶を受けていたのですね。

こうやってつながっていく文学の絆。素敵だなぁ。

直接お話することが難しくても、書いてあるものを読むことで、何かを受け継ぐことができる。それが本の魅力と改めて感じました。

 

 

 

 

 

 

映画『我等の生涯の最良の年』

3時間近い長編で1946年に製作された古いアメリカの映画。

飽きずに見ることができるから、傑作なんだと思います。

監督は、ウィリアム・ワイラーアカデミー賞受賞作品。

 

第2次世界大戦が終結し、アメリカに戻ってきた3人の復員兵が主人公。同じ輸送飛行機に同乗したことから知り合い、故郷に戻った3人の復員後の人生が描かれています。

明るいイケメン将校のフレッド、銀行員でお酒を手放せない軍曹のアル、戦争で両手を失った水兵のホーマー。戦争前も戦争中も違う環境にいた3人が、なかなか復員後の生活になじめない間に心通じ、支え合い、励まし合って、ときには対立しながらも新たな人生を切り開いていく様子が、ていねいに描かれています。

 

戦地から帰ってきて、現実とのギャップに翻弄される3人の様子は、戦勝国であっても、戦争の苦しみや痛手は小さくないことを私達に教えてくれます。

 

3人が悩みながらも新しい人生の扉を開けて、次のステージに飛び込んでいく姿に感動しました。3人を側で優しく見守る家族の存在が素晴らしい。

 

基本的にはハッピーエンドの娯楽作なのですが、広島や硫黄島のことが会話の中に出てきたり、帰還兵を侮辱する言葉を投げつける人や、管理主義的な職場の姿なども描かれていて、さりげなく社会風刺も効いていてすごいなぁと思いました。

 

生涯最良の年の後、3人それぞれがどんな人生を歩んでいったのか、気になります。

明るくてたくましいフレッドがきっとその後もアルとホーマー、そして家族みんなを支える存在になったように思います。どんなときも、あんまりくよくよせずに、目の前に差し出された手を掴んで立ち上がるフレッドの姿がアメリカを象徴しているように感じました。

 

 

 

映画『天地明察』

岡田准一宮崎あおいが共演している映画。

そのことが気になって、見てみました。

 

お似合いの二人が、なかなか結ばれない展開。二人がお互いを信じて待つという穏やかでゆったりとした時間の流れと、北極星の動きを追って暦の謎に迫ってゆく主人公(安井算哲=岡田准一)の地道な研究に要する長い年月が重なっていて、大事なものを得るためには、一生を捧ぐ決意が必要なんだと気付かせてくれる映画でした。

 

そして、主人公二人の実際の人生もこの映画と同じような流れで進んでいくのが面白いなと思いました。

 

主人公の安井算哲の周囲には、素敵な大物がたくさんいて、困難の度に彼をいろいろな形で支えてくれます。

 

水戸藩主(徳川光圀

会津藩主(保科正之

山崎闇斎

関孝和

本因坊道策

徳川家綱

 

正確な暦を見極めるために、1年をかけて日本をまわり、計測を行うビッグプロジェクトが藩の後押しで行われていたことに驚きました。

 

江戸時代の日本は、今よりずっと地方分権の国だったのですね。

そして、お殿様は、日本の将来を考えて、広い視野を持って政策を行っていた。日本の各地に何人ものリーダーがいるという形も素敵だなぁと思いました。

 

お金のためだけでなく、日本の将来を考えて責任を背負う覚悟のあるリーダーがいてこそ、根気の必要な研究ができるんだなぁと改めて思いました。

 

 

 

 

映画『ウォーナーの謎のリスト』

映画の題名からすると謎なのは「リスト」のはずですが、謎のリストを作成したと言われているウォーナーも謎めいた人物でした。

 

日本史の知識のない私からすると、本当にわからないことだらけで、見る前よりも謎が深まってしまうという、謎のドキュメンタリー映画です。もしかしたら、謎を、見た人の心に忍ばせるのがこの映画の狙いなのかもしれません。

 

米国人美術家のラングドン・ウォーナーは、第二次世界大戦下の日本において空爆すべきでない文化財のリスト「ウォーナー・リスト」を作成した。

 

だけど「ウォーナー・リスト」は実在したかどうかがはっきりせず、実在したとしてもその「ウォーナー・リスト」が空爆地の決定の際に利用されたかどうかも定かではないというのが結論。いろいろな人のインタビューによってリストについて語られるのですが、「ウォーナーのリスト」の謎を追っている最中に、もうひとつのリストがあることが浮上し(司馬遼太郎も『街道をゆく』でもうひとつのリストについて言及をしている)、話がややこしくなります。

 

そのもう一つのリストを作成したと言われているのは、セルゲイ・エリセーエフ。ロシアから日本にやってきて、東京帝国大学に留学。夏目漱石とも交流のあった研究者です。

 

アメリカ軍が文化財空爆しなかったのはなぜか?

日本の文化財空爆を免れたのは、何らかのリストが存在したからなのか?

存在したのであれば、誰が作成したどんなリストだったのか?

 

その直接的な答えは映画の中にはありません。

 

映画の後半、ウォーナーは中国の壁画の一部や文化財アメリカに持ち帰っていたことが明かされます。

 

ウォーナーって盗賊だったの?

もしかしてリストを作成した狙いは、日本の文化財を残すためではなく、アメリカに持ち帰るため?

 

そんな疑惑も出てきて、なんなんだろう? という余韻を残して映画は終わります。

 

そんな謎めいた映画の中で、存在感をしてしていたのがジョン・ダワーと朝河貫一。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は、いつか読まねば。と思いました。

 

 

 

 

 

 

『ケアマネジャーはらはら日記』

私の親の担当のケアマさんは、よくしゃべる人です。一つ尋ねると五つくらいの話題が返ってくるので「はい」「はい」と聞いている間に、何の話だったかわからなくなったりします。それでも、ケアマネさんの明るさが介護の話の際には、救いとなる時もあるので、ケアマネさんの良し悪しは、私には判断できません。

 

この本の作者の岸山さんは68歳のケアマネさん。ケアマネ歴21年目で注意欠如・多動症ADHD)と二次障害の不安神経症を持っている(医療機関で診断を受けたわけではないとのこと)ベテランさんです。

 

ケアマネジャーの仕事についての話ももちろん興味深かったのですが、ご自身の持っている生きづらい性格がもたらした転職にまつわる話が心に残りました。定年延長を申し出たときに、母体である医療法人の院長に素っ気なくあしらわれたり、なんとか定年延長にこぎつけたあと、後任のセンター長に追い出されてしまったり、再就職した別の地域の包括支援センターで同僚の方々に意地悪されたり・・・。大変だったけどよく乗り越えられましたね・・・と思う一方で、一緒に働く人達の辛さもわかるような気がして複雑な気持ちになりました。

 

私ももしかしたらADHD?と思われる人と一緒に働いたことがあって、その時の違和感とイライラ感がこの本を読んで蘇ってきたからです。

 

岸山さんは、自分の特性に自覚があって、わかった上で一生懸命仕事をされているけれど、私の同僚だった人は、そういう自覚は多分なく、自分が正しいと思うことにこだわる人だったので、とにかく面倒という印象の人でした。自分に甘くて他人には厳しいところがあって、その方の話に同意できないこともしばしば。いろいろな話を聞かされるうちに、だんだんおしゃべりするのが苦痛になり、私の方からその人に対して心理的に距離を置くようになってしまいました。会話は仕事上の話題に絞り、できるだけ短く簡潔に、表面的に失礼のないように幾分儀礼的に付き合うよう心がけました。結局、元同僚がより労働条件のよい職場に転職するまで、心を開いて話すようなことはなかったと思います。今も連絡は取っていません。

 

元同僚に対して直接意地悪をしたり、嫌がらせをしたりということはなかったと思うけど、受け取り方は、その人自身にしかわからないので、この本では敵のように描かれている人達の姿は、私の元同僚にとっての私の姿と重なる部分があるかもしれません。

 

そういう経験があったからか、この本の読後に感じたのは、作者の “怒り” の感情でした。

 

自分を認めなかった人達への “怒り” がこの本を書くことの起爆剤になっているように感じました。

 

どんな仕事でも人との関わりはあるから、関わる人に対して腹が立ったり、ありがたく思ったり、いろいろあって当たり前。介護の仕事は、その関わりが他の仕事よりも濃いみたいだから、各人の感情のコントロールが大事なんだなぁと思いました。

 

作家ではなく、仕事人が書いているルポだから、思ったことがストレートに表現されていて、そこがこの本の魅力だと思うけど、感じたことをそのまま書くと感情が文章に顕われてしまって、その思いに作品全体が引っ張られてしまうんだなぁと思いました。きっとそのあたりがプロとアマの差なんでしょうね。プロは物事やできごとを昇華させて文章にしていくことができる人なんだと思います。

 

介護の世界も、行政による福祉の世界も、それに携わる人としての温かな気持ちがまずは求められているので(たぶん)、プロフェッショナルな技能(そういうものがあるんだとしたら)だけでは勝負できないわかりにくい世界なんだと思います。誰でも参入しやすく見える反面、何年も仕事をしてもプロとして認められにくい世界。私の働いている業界もそんな感じだから、長年がんばっても給料は上がらないし、キャリアを積んでもそれほど周囲と差がつくわけではなく認めてももらえない。そんな現状から感じる私の鬱憤は、作者の抱える“怒り”に通じているものかもしれません。

 

私が関わっているケアマネさんはたくさんしゃべるけど、楽しそうにしゃべってる様子からは “怒り” の感情は読み取れません。それだけでも、とってもありがたいことなんだなと思いました。

 

 

 

 

2級ファイナンシャル・プランニング試験  その4

去る、5月22日は2級ファイナンシャル・プランニング技能検定の受検日でした。

ちょうど1年前の試験で実技試験をパスしたので、今回も学科試験のみの受験。

昨年度は三回試験を受けたけど、学科試験は三回連続で不合格(5月29点→9月33点→1月26点)。残念な結果に打ちのめされながらも、諦めずに挑戦した結果、今回は自己採点で44点(合格ラインは36点)。自己採点が間違っていなければ、合格の運びとなります。

 

やったー!!!

 

今回は、過去問をがんばりました。

 

近代セールス社の過去問(5回分)をひたすら解きました。

 

 

 

5回分の過去問を解いて、解説を読んでみると、同じような問題に何度か遭遇。前に解いたことがある問題のことをなんとなくでも覚えていると、次にその問題が登場したときに、正解する確率がぐーんと上がります。

 

過去問を解く中で体験したことが本試験で現実となり、前に見たことある問題は、かなりの確率で正解しました。

 

過去問  大事です。

 

ここに至るまで、長かったから、感慨もひとしお。

今までコツコツテキストを読んだことが、結実したのかもしれません。

 

足かけ10年(途中長期の中断有り)の2級への挑戦の旅も終わりを告げようとしています。

 

今まで使用したテキストや問題集がコチラ

 

 

あまり、使用していないテキストや問題集もあるし、かえって寄り道になってしまったテキストもあるけど、いろいろお世話になりました。

 

私がお勧めするテキスト&問題集は

 

きんざいのFP技能検定教本の6冊と近代セールス社の過去5回分の問題集です。

教本をじっくり読んで、章末の過去問と理解度テストを行い、教本が1冊終わる度に該当の過去問を解く。それを繰り返して、ある程度全体を理解したら、過去問にもう一回挑戦する。今回の検定で行ったこの勉強法が私には合っていたように思います。

 

FPの資格は仕事に直結するものではないので、2級取得で一区切り。

1級にも興味あるけど、2級合格までに苦労したので、簡単な気持ちで挑戦できません。2級合格のために1級のテキストを購入して読んでみたけど、ちんぷんかんぷんでした。資格取って、給料が上がるなら考えるけど、それもないしなぁ。

 

格通知を手にできたら、その時に今後のことを考えるつもりです。