スーホの日記

これからの人生のために!

映画『ミス・マルクス』

資本論の著者カール・マルクスの娘、エリノア・マルクスの半生を描いた作品。

エリノア・マルクスのこともカール・マルクスのことも、どういう人だったのか知識がないままに鑑賞したので、映画を見て驚きました。

 

カール・マルクスは自宅で働いていた女性に手を出し、子どもを産ませていたし、エリノアの内縁の夫は芸術家気取りの放蕩者。生活感のない二人の男性の姿を見て、こんなのって今の世の中では通用しないぞ、と憤りも感じました。

 

そんな二人と比べるとマルクスを支えたエンゲルスは立派。工場を経営して稼いだお金でマルクスを援助。マルクスの死後もエリノアを支えていたようなので、やっぱり、人には現実的な面が不可欠。思想的、学問的にはマルクスの方が優れていたのかもしれないけれど、現実の社会で役に立つのはあくまでも実践的な人間なんだな、とつくづく思いました。だけど、実践的な人間はいい人、立派な人で終わっちゃうのかもしれません。

 

多分、カール・マルクスは普通の人じゃなかったと思う。

普通の人はまずは生きるために働いて、お金を稼いで、人生を楽しんで、周りの人の幸福のためにがんばる。これができてはじめて次のステップに進めるのではないかしら。

 

 

エリノアは内縁の夫であるエドワードがダメな男だとわかっているのに、裏切られても、友だちに別れることを強く勧められても、彼から離れることができません。エドワードを切れないエリノアの情けなさが見ていてすごく辛かった。頭がよくて社会運動を牽引する才人のエリノアでも自分を解放して、自分中心に行動することができず、ずるずると彼に引きづられてお金も時間も浪費してしまうのが、なんとももったいない感じがしました。自分を解放するって難しい。

 

家に帰って映画のことを改めて考えてみると、エリノアと同じ苦悩が私の中にもあることを感じました。

 

結局は父の望むように勉強して大学に行って、就職して、結婚して仕事辞めて、今は家事しながらパートしてる。父と夫を支える役割を今までなんとなく引き受けて、仕事でもらえる給料では自活は難しい。なんとなく枠にはまった人生をここまで歩んでいるのは私もエリノアと一緒。そして今までの人生を振り返って後悔しながら、次の一歩がなかなか踏み出せないところもエリノアと一緒。

 

そのことに気付いたときに、この映画の見方が少し変わりました。

社会を変えることを考えるより、自分を変えることの方が難しい。

自分を変えて枠に囚われずに生きていかないと、私もエリノアみたいにどこかで破綻しちゃうかも。

無駄な苦悩からは離れて、現実に目を向けましょう。

 

戦わないといけないね。

自分自身と。

自分を取り巻く環境と。

自分自身の感情や思考を頼りに、外から与えられたものじゃなく自分の中から湧き出るものを頼りに生きていかなきゃね。

 

今の時代の感覚で過去に生きた人を決めつけてはいけないんだなと思いました。

その時代に適応しながら、みんな懸命に生きてきたと思うから。

そう気付いたことで、自分の周りにいる母や義母の人生に対して少しだけ共感することができました。

愚痴ばっかり言ってないで行動すればよかったのに・・・

面倒で優しくない夫の世話なんかしないで、一人で働いて生きればよかったのに・・・

そんな風に母や義母のことを心の中で決めつけていた自分を反省。

仕方なかったんだよね、夫を補佐して自分の生活圏で精一杯生きるしかなかったんだよねって思うようになりました。

 

いろんなものに囚われている自分自身にも「仕方なかったんだよ、今までのことは。これからは、もっと楽しく、もう少し自由に生きていこうね」と声を掛けて励ましたい気持ちです。

 

今の自分の考え方で人を簡単に判断してしまうのは間違いの元。

こういう人もいたんだねと映画からのメッセージをそのまま受け取るのが正しい鑑賞方法かもしれません。