映画『ドライブ・マイ・カー』
何年か前にこの映画の原作になってる本(村上春樹短編小説集『女のいない男たち』)を読みました。短編集の中でも特に印象に残ってる作品だったので、映画化されたと知り、喜んで見に行きました。小説の詳細は忘れてしまったけど、あらすじはなんとなく覚えていたつもり。あの短編を3時間(正確には179分)の映画にするってどういうことなのかな?という点も興味ありました。
見終わって思ったのは、物語の骨格は小説のままだけど、内容は異なる2つの作品だった、ということ。
ドライバーのみさき以外の登場人物の設定が少し違っていて、特に主人公の妻と関係を持っていた高槻(岡田将生)の人物像が原作と映画では大きく異なっていると感じました。
役者が演じると役者のキャラクターや演技によって、登場人物が脚色されてしまうので、私が小説を読んで勝手にイメージしていた人物と相違が出てしまったのかもしれません。
でも、そのことについては、多分映画の作者も承知の上だったのかな、と思います。だから映画の中の『本読み』とか『そのまま受け取る』というセリフが映画を見ている人に効いてくる。
この映画をそのまま見てそのまま受け取って帰って下さい。
そして、映画のなかのできごとをあなたの人生に役立ててください。
そんなメッセージが聞こえてくるように感じました。
主人公の家福(西島秀俊)の妻は急死してしまうんだけど、もうここにはいない人、話すことや直接聞くこともできない人についてあれこれ考えるよりも、一緒にいた年月をそのまま感じることが大切なんだよーってわかったときに、人は次に進めるのかなぁと思いました。だから、映画を見る人にも同じことを求めてる?
ただ、この映画は人によって受け取り方は様々なんじゃないかなと思います。
家福の高槻に対する復讐と考えればサスペンスになるし、
つらい過去を乗り越えて気丈に生きてきた23歳のドライバーみさきの成長物語でもあるし、
「ワーニャ伯父さん」という舞台が完成するまでが描かれてるし、
短絡的な高槻の暴走がテーマなのかもしれないし、
東京から広島へ、そして北海道(から韓国)へと続くロードムービーとも思えるし、
やっぱり3時間の中にはいろいろな要素が詰めこまれていて、映画を見終わって、そのままを受け取りながらも、あれこれ考えさせられる作品になってるところがすごいなと思います。
ただ、私にはラストシーンが謎でした。
その謎を解くのがこの作品を解明する鍵になるのかな?
んーむ。それって考え過ぎかな?
韓国で終わりたかっただけなのかもしれません。