足を怪我して気付いた大切なこと
足首を捻挫して3週間目に突入。装具で足首を固定して過ごしています。
実は腓骨の端を剥離骨折していて、今度ひねったら手術だよ!と整形外科の先生に言われて、慎重に日常生活を送ってきました。
最初は仕事をお休みさせていただき、それから何日かは夫に職場に送迎してもらったりタクシーを利用して過ごし、その後バス通勤へと移行。痛みのある足をひきづりながらの生活にも慣れてきました。
大変だけど、足を怪我して気付いたことがたくさんありました。
細かい損得勘定は不要
〇治療費
〇交通費
〇多分もう履くことのない新しく買った靴代(2万円)
新しい靴を買ってすぐに怪我しました。たぶんもう履きません。
〇2月に予定していた帰省のための早割航空券代のキャンセル料(1.5万円)
こうやって書き出してみると総額5万円くらいだから、落ち込むほどの金額ではないのですが、なんだか損しちゃったなぁって最初は思いました。
楽しい予定もいくつかキャンセルしたし、治る怪我だということが分かってホッとしたら、急にお金が惜しくなる・・・情けない思考回路。
損したなぁ・・・と考えると落ち込んでしまい、なんで怪我したんだろう・・・と負のループに突入。何事も損得を考えてしまうっていいことではないと実感しました。
支払わなきゃいけないお金は気持ちよく支払うべし。
コスト=損ではないし、コストがかかったからその分取り戻さなければいけないってことでもない。日常生活においては損とかコストという考え方から離れて生きた方が、精神的にはいいみたい。
そのことに気がついて、あまりお金のことを考えなくなって楽になりました。
たくさんのありがとう
優しかったタクシーの運転手さん
通勤に間に合うバスの便があること
洋式トイレの存在(しゃがめないから)
舗装されている道路(段差が越えられないから)
ショッピングカート(支えになります)
宅配してくれる生協
送迎してくれた夫
気遣ってくれた同僚
歩くことのできる足
回復していく身体
病院
取り外し可能な装具(便利)
いろいろなものに支えられて生きていることを実感しました。
税金だってバス便の維持や道路の整備に使われていると考えると気持ちよく負担できます。私たちは、だれもがこの社会の一部で、気付いていてもいなくても何らかの形で支え合って生きているのだなぁとしみじみ思いました。
普段は、自分中心の夫もできる範囲で私に協力してくれて、不機嫌な顔もしなかったし、怪我をした私が落ち込むようなことも一切言わなかったので、ありがたいなぁと思いました。
怪我が治ったら、私の元気を社会に還元していこう!
それは小さな思いやりでも税金の負担でもいいのかも。
でもなにより一番大事なのは、私がイライラせずに楽しく生きること。たぶんそれが周りの人にとっては一番ありがたいことなんじゃないかな。夫が機嫌良く生きているのを見ていてそう思いました。
自分中心って大事
なんとなくあくせく生きてきて、つまずいて、これじゃだめだなぁって思いました。離れて暮らす高齢の両親の生活をできる限り援助しなきゃって思って頑張ってきたけど、まずは自分を大事にして、できる範囲で楽しく介護するのが基本。やってあげてるっていう感じじゃなくて、なんとなく側にいてくれて、なんとなくできることをさりげなくやってくれて、そっと支えてくれるという形が今の私にとっては、とてもありがたかったので、私もそういう形で両親をはじめ周りの人と共にありたいなと思いました。
そのためには、自分がハッピーじゃないとね!
今までの私は、夫が同じように悩んでくれないことに憤ることも度々でした(子ども達のこととか)。でも、私が怪我しても普段通り楽しそうに出掛けたり、仕事している夫を見て、夫に負担をかけて悪いなぁと感じることはありませんでした。自由すぎるとは思ったけど、夫に対して気を使うこともなかったので、結果的にそれが一番ありがたかったんです。
だから私もこれからは自分の人生と自分の気持ちにまず集中。
休みたいときは休むし、楽しいと思うことには貪欲になるし、友だちづきあいだって我慢しません。
自分がハッピーでいることが周りをハッピーにする。
そして私も周りの人がハッピーでいることを喜べる人になりたいです。