『ケアマネジャーはらはら日記』
私の親の担当のケアマさんは、よくしゃべる人です。一つ尋ねると五つくらいの話題が返ってくるので「はい」「はい」と聞いている間に、何の話だったかわからなくなったりします。それでも、ケアマネさんの明るさが介護の話の際には、救いとなる時もあるので、ケアマネさんの良し悪しは、私には判断できません。
この本の作者の岸山さんは68歳のケアマネさん。ケアマネ歴21年目で注意欠如・多動症(ADHD)と二次障害の不安神経症を持っている(医療機関で診断を受けたわけではないとのこと)ベテランさんです。
ケアマネジャーの仕事についての話ももちろん興味深かったのですが、ご自身の持っている生きづらい性格がもたらした転職にまつわる話が心に残りました。定年延長を申し出たときに、母体である医療法人の院長に素っ気なくあしらわれたり、なんとか定年延長にこぎつけたあと、後任のセンター長に追い出されてしまったり、再就職した別の地域の包括支援センターで同僚の方々に意地悪されたり・・・。大変だったけどよく乗り越えられましたね・・・と思う一方で、一緒に働く人達の辛さもわかるような気がして複雑な気持ちになりました。
私ももしかしたらADHD?と思われる人と一緒に働いたことがあって、その時の違和感とイライラ感がこの本を読んで蘇ってきたからです。
岸山さんは、自分の特性に自覚があって、わかった上で一生懸命仕事をされているけれど、私の同僚だった人は、そういう自覚は多分なく、自分が正しいと思うことにこだわる人だったので、とにかく面倒という印象の人でした。自分に甘くて他人には厳しいところがあって、その方の話に同意できないこともしばしば。いろいろな話を聞かされるうちに、だんだんおしゃべりするのが苦痛になり、私の方からその人に対して心理的に距離を置くようになってしまいました。会話は仕事上の話題に絞り、できるだけ短く簡潔に、表面的に失礼のないように幾分儀礼的に付き合うよう心がけました。結局、元同僚がより労働条件のよい職場に転職するまで、心を開いて話すようなことはなかったと思います。今も連絡は取っていません。
元同僚に対して直接意地悪をしたり、嫌がらせをしたりということはなかったと思うけど、受け取り方は、その人自身にしかわからないので、この本では敵のように描かれている人達の姿は、私の元同僚にとっての私の姿と重なる部分があるかもしれません。
そういう経験があったからか、この本の読後に感じたのは、作者の “怒り” の感情でした。
自分を認めなかった人達への “怒り” がこの本を書くことの起爆剤になっているように感じました。
どんな仕事でも人との関わりはあるから、関わる人に対して腹が立ったり、ありがたく思ったり、いろいろあって当たり前。介護の仕事は、その関わりが他の仕事よりも濃いみたいだから、各人の感情のコントロールが大事なんだなぁと思いました。
作家ではなく、仕事人が書いているルポだから、思ったことがストレートに表現されていて、そこがこの本の魅力だと思うけど、感じたことをそのまま書くと感情が文章に顕われてしまって、その思いに作品全体が引っ張られてしまうんだなぁと思いました。きっとそのあたりがプロとアマの差なんでしょうね。プロは物事やできごとを昇華させて文章にしていくことができる人なんだと思います。
介護の世界も、行政による福祉の世界も、それに携わる人としての温かな気持ちがまずは求められているので(たぶん)、プロフェッショナルな技能(そういうものがあるんだとしたら)だけでは勝負できないわかりにくい世界なんだと思います。誰でも参入しやすく見える反面、何年も仕事をしてもプロとして認められにくい世界。私の働いている業界もそんな感じだから、長年がんばっても給料は上がらないし、キャリアを積んでもそれほど周囲と差がつくわけではなく認めてももらえない。そんな現状から感じる私の鬱憤は、作者の抱える“怒り”に通じているものかもしれません。
私が関わっているケアマネさんはたくさんしゃべるけど、楽しそうにしゃべってる様子からは “怒り” の感情は読み取れません。それだけでも、とってもありがたいことなんだなと思いました。