映画『家族を想うとき』
恐ろしくて、見ていられないシーンが何度かあって、私にとっては、ホラー映画のようでした。
主人公の家族は、停学になったり、怪我したり、トラブルの連続。
少しのあせり、少しのイライラ、小さなミス、ちょっとした反抗心が家族の歯車を狂わせ、普通の家族が崩壊へと加速して向かってゆく。
家族のちょっとした楽しいできごとも、新たなトラブルの種となってしまい、どこに救いを求めたらいいのかわからなくなってくるストーリー展開。
この映画で描かれていたのは、仕事に追われて忙しい子育て世代の日常。よく似た光景は日本でもあるので、映画を見ていると自分の家族の姿が登場人物と重なって、胸が苦しくなりました。私の日常も、ちょっとしたことで崩壊するかもしれない、薄氷の上に築かれた世界なのかもしれません。
精神的にギリギリの生活にならないためにはどうしたらいいのでしょう?
私が出した答えは、
くだらないこととかつまんないことって意外と大事
っていうこと。
損したり、へましたり、無駄なことしたり、無茶したりしても大丈夫だよっていう空気を作らないといけないなってこと。そのために私ができることは、余裕を持って毎日を過ごして、くだらないこととか、つまんないことをやってみることなんじゃないかなって。
それから、
受け止めてくれる人の存在も大事
おばあちゃんでも、先生でも、先輩でも、おじさんでも、役所の人でも、同僚でも、友だちでも、組合でも、誰でもいいし、直接の手助けをしてもらえなくてもいい。
受け止めてもらえてる、と思えるだけで人は恐怖や不安をやり過ごす事ができるはず。
主人公の夫婦の忙しさを誰もわかってくれず、人を援助する仕事をしている奥さんが誰からも助けてもらえないという辛さ。話を聞いてもらえるだけでも、救いになったんじゃないかなって映画を見て思いました。
でも、本当にツライとき、人はなかなか助けを求められないもの。そんなときは、ちょっとした親切が心にジーンと届くはずなので、やっぱり、余裕を持って生きるってことがめぐりめぐって誰かの救いになるのかもしれないと思いました。
効率重視な姿勢や計算して行動することは、映画で描かれてたみたいな恐ろしい世界への入り口。
いろいろな人がいていいんだって思ったし、
人にはいろいろな役割があるんだなって思えました。