柳田由紀子『宿無し弘文』
スティーブ・ジョブズが師とした禅師乙川弘文。
駒澤大学、京都大学で学び、永平寺で修行してアメリカへ渡った曹洞宗の禅僧。
『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』を翻訳し、乙川弘文に興味を抱いた著者が既に鬼籍に入っていた(2002年の夏に死去)禅僧と関わりのあった人たちを訪ね歩いて、彼について聞いたことを記したのがこの本です。
7年かけて何人もの人に会い、聞いたことをそのまま書いているんだと思います。紹介されている話は、31人分。男性も女性も、日本人もアメリカ人もヨーロッパの人もチベット僧もいます。家族もいれば宗教関係者もいます。さまざまな人が乙川弘文について語ることで今は亡き乙川弘文という人の姿がこの本を読む私たちの前に具体的な人として蘇ってきます。
奥さんや子ども達から見ると酒飲みで働かず、親としての責任も果たさないどうしようもない男だけど、彼を慕った弟子たちや宗教でつながる人達から見ると純粋で無私な人に見えていたのが驚き。
人は、必要な時にしか心の扉を開けないけれど、弘文のドアはいつでも開いているんです。(『宿無し弘文』P.168)
弘文は、他者に遭った時、目の前のその人のことだけを考える人。彼はよく約束の時間を破ったからそのことに怒る人もいたけれど、僕に言わせれば、そういう人は禅を学んでいないんですよ。(『宿無し弘文』P.182)
人には誰にも、仏教でいうところの<利他>、つまり、他人の役に立ちたいという願いがあるのです。ところが、弘文の場合はこれが徹底していて、自分のことより何よりまず利他が優先されるのです。(『宿無し弘文』P.193)
家では家庭に不和や不穏な空気をもたらすダメな親父で、弟子の前では西欧文化との比較を交えながら禅を語れる数少ない本物の禅師 。
なんで結婚なんてしたんだろう(それも1回じゃなくて2回)?って感じたけど、ダメな親父の姿があってこその彼だったのかもしれないなぁと思い直しました。
そのまま、自然体で生きたから、彼の言葉は悩みを持つ多くの人に届いたのではないかしら。
人は言葉の裏にあるその人の本音を嗅ぎ取ってしまうもの。彼の言葉は、裏表がないからこそ、スティーブ・ジョブズを含む多くの人の心に届いたのでしょう。
家族にとって災いだったかもしれないことを含めて、彼が彼の考える禅を実践した記録がこの本には収められていると感じました。
スッキリ生きるってことは、自分のそのままの姿で生きるってことかもね。
それが乙川弘文の「禅とは掃き清めること」という言葉につながってると感じたけど、そんな言葉で片付けられるほど生きるって簡単なことでもないんだなってことも、同時に思い知らされるのでした。
だって、乙川弘文の突然の死があって、家族の人達は、いまだに整理のつかない思いを抱えて、掃き清められずに生きているように思うから。