チョ・ナムジュ『彼女の名前は』
図書館に、映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の原作者チョ・ナムジュの新刊が並んでいたので借りて読みました。キム・ジヨンと同じように辛いできごとに遭遇する女性達が主人公の短編集です。
短編はどれも、そんなこともあるよねという話ばかりで胸に迫ってきます。ちょっとした辛いできごとをやり過ごして生きてきた、たくさんの女性の存在を改めて感じることになりました。もちろん私もその中の一人。見方によっては、この世の中は、小さな意地悪やいじめ的言動や男女差別であふれています。今まで見過ごされてきた小さなできごとをていねいに描いている短編集です。
今までは、ちょっとした辛いできごとで済まされていたものが、小説や映画として目の前に現れると、これはあってはならないことなんだという共通認識として理解されるようになります。そして、それは自分が被害者であり、ときに加害者でもあったことに気付くことでもあります。だから、作者のチョ・ナムジュの影響は大きい。
今までもフェミニズム運動でさんざん語られてきたことなんだろうと思うけど、私の目の前に自分事として提示されたチョ・ナムジュの問題意識は、そういう世の中で私はこれからどうやって生きていったらいいのかな? という自分への問いかけにつながっていきました。
ジュディス・L・ハーマンも『心的外傷と回復』の中で下記のように指摘しています。
地域がらみの疫病である権力の乱用は、性暴力、家庭内暴力などの大きな犯罪群の一端であり、前者を甘受することは、当然後者を甘受することである。女性と子どもの劣位と服従とは私たちの文化に深く根をおろしており、女性と児童への暴力が基本的人権の侵害であるという認識はごく最近のことである。殴打、ストーキング、性的ハラスメント、親戚知人によるレイプのような脅迫的支配は、いたるところに見られる行動パターンであるが、名前さえなく、犯罪だという認識など問題外であった。犯罪とされるようにしたのはフェミニズム運動である。(『心的外傷と回復』P.391)
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の中で主人公のキム・ジヨンがうつ状態に陥ったように、身動きのとれない状況の中で心ない言動にさらされると誰もが心に傷を負います。『心的外傷と回復』で取り上げられた外傷と比べると小さな傷かもしれないけれど、回復するには手立てが必要。
回復は 安全の確保→ストーリーを語る→未来を創造する という形でゆっくりと進行するものだと『心的外傷と回復』に書いてありました。
心的外傷体験の核心は、孤立と無援である。回復体験の核心は有力化と再結合である。(『心的外傷と回復』P.309)
この世の中で自分に何ができるかを考えられるということは、既に自分に力があることを認めていることになると思います。だから私が目指すものは再結合。
究極の再結合は生存者使命を発見し社会的行動を行うこと。
社会行動は多くの形をとりうる。個別的な人物たちとの具体的なかかわりから抽象概念の知的追求まである。生存者の中には自分と同じように被害者になった人たちを教育、司法、政治の各面の努力によって救援することにエネルギーを集中し、将来被害者になる人々が出ないようにしようとする人もあり、加害者を法廷に引き出そうとする人もある。これらの努力の共通点は公衆の意識を高めるために献身するということである。(『心的外傷と回復』P.330)
『彼女の名前は』 には朴槿恵前大統領の辞任を求めるろうそくデモに参加する高校生の話(「浪人の弁」)や、梨花女子大学で起きた学生運動の話(「また巡り逢えた世界」)も出てきて、未来を創造しようとする力強い若い世代の女性の姿も描かれています。それらは「たくさんの先が見えない道のなかかすかな光を私は追いかけてる」と題された第4章に登場します。ジュディス・L・ハーマンの言っていた回復の道と符合していてちょっとびっくり。やっぱり、戦うことが必要なんだね。今までの私は夫と戦っていた気がするから、これからは社会に目を向けなくては。
私にとっての社会的行動って何だろう? まだはっきりと道が見えません。まずは真摯に人に対することから始めてみようと思います。