スーホの日記

これからの人生のために!

アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』

殺人事件は起きないし、宝石も盗まれません。主人公の主婦ジョーン・スカダモアの気持ちを淡々と追っていく話なんだけど・・・

 

ジョーンの家族や身近な人に対する言動は、自分の考えを押しつけるばかりで、周りの人の心はジョーンから離れてしまっている・・・

 

そんなジョーンは自分のことを48歳には見えない若くてほっそりして幸せな中年女性だと思っている・・・

 

結婚した娘を訪ねた帰り道、バグダッドからイギリスへ向かう途中、大雨の影響でテル・アブ・ハミドで足止めされたジョーンは、ホテルで一人で何日か過ごす間に、自分の今までの言動を振り返り、自分の間違いに気付く。そして夫に対して謝罪して、夫を愛していると伝えることを決心する・・・

 

ジョーンの過去の回想の中にある自身の姿は、学生時代から進歩していない自分の価値観を夫や娘達に押しつけて、それが常識だ、私の思う通りにすれば間違いない、それが幸せな道なんだと家族の夢や自由を奪う暴君の姿。

 

幸せな中年女性という見た目と傲慢な暴君という内実の差に驚く。

そのギャップがミステリーと言えるかもしれない。

 

ジョーンは、回想の中で学生時代、校長先生から送られたはなむけの言葉を思い出します。

 

「これは、とくにあなたにいっておきたいことなのです。安易な考えかたをしてはなりませんよ、ジョーン。手っとり早いから、苦痛を回避できるからといって、物事に皮相的な判断を加えるのは間違っています。人生は真剣に生きるためにあるので、いい加減なごまかしでお茶を濁してはいけないのです。なかんずく、自己満足に陥ってはなりません」(P.137)

 

「こんなことをいうのは、ここだけの話だけれど、あなたは少々自己満足の気味があるからです。そうは思いませんか?自分のことばかり考えずに、ほかの人のこともお考えなさい。そして責任をとることを恐れてはいけません」(P.138)

 

「人生はね、ジョーン、不断の進歩の過程です。死んだ自己を踏み石にして、より高いものへと進んで行くのです。痛みや苦しみが回避できないときもあるでしょう。そうした悩みは、すべての人が早晩経験するものなのですから。主イエス・キリストすら、人の世の苦しみに曝されたもうたのですよ。主がゲッセマネの苦しみを味わいたもうたように、あなたもやがて痛みを知るでしょう――あなたがそれを知らずに終わるなら、それはあなたが真理の道からはずれたことを意味するのですよ。疑いに沈むとき、苦難に会ったときに、どうか、わたしのこの言葉を思い出して下さい。わたしは卒業生からのたよりをいつも楽しみにしていますし、求められれば、いつでも助言を惜しみません。どうか、神さまのお恵みがあなたともにありますように」(P.138)

 

 

 

そして、自分の過ちに気付く・・・

 

だけど校長先生の言葉を実践するのは簡単なことではなく・・・

 

苦しみ悩むことは悪いことではない。それを見ないことにすると後からもっと大きな苦難がやってくる。現実を見ずにやり過ごして生きてしまうと、その本当の困難からするりと逃げてしまう、それが人間の弱さ。

どんな人生であっても苦難に向き合って進歩していくことはできる。

人間の隠れた苦闘を描き出すアガサ・クリスティはやっぱりすごい。