スーホの日記

これからの人生のために!

映画『パリ、嘘つきな恋』

 

何度も大声で笑ってしまった。不意打ち的な笑いの攻撃のせいで、おもわず膝の上に乗せていた次回上映予定の映画パンフレットを床にばらまいてしまったほど。

 

‘障がい’ は恋の障害のほんの一つに過ぎないのかも・・・

その ‘障がい’ が明るく描かれているラブコメディ。フランス人の恋にかける情熱とおおらかに人生を楽しむ姿が映画の中で存分に展開されていて楽しかった。パリっていう場所は人の心を何らかの縛りから解放してくれる場所なのかな。

  

コメディだからか、ヴァイオリニストが演奏会の前に車椅子テニスの試合に出場する!? とか、主人公のジョスラン(フランク・デュボスク)が48歳と言うには無理がある!? とか、ところどころ ? に感じるところがあるけど、それがこの映画のフィクション性を物語っている形になってます。

 

だって、お金持、支社長、健康、イケメン、プール付きの家、美人、ヴァイオリニスト、スポーツ万能、行動力、ウィット、やさしくて思いやりのある言動、スタイル抜群、ファッションセンスもピカイチみたいなありえないスーパーすごい人たちが主人公なのだから、現実的ではないのは当然!? 

 

ハンディキャップがあっても人生を謳歌する方法を華麗に示してくれるのだけど、そういう要素を持っていない普通の私がどうやったらハッピーに生きることができるのかは、見終わった後の私への課題となりました。なんかつまんないなぁ・・・とぼやくのはそろそろ終わりにしなきゃいけないと思っていたので!

 

人生を謳歌してハッピーに生きることを自分のこれからのテーマにしよう!

 

そしてハッピーは意外と日常の小さなところに存在しているのかもしれません。

 

素敵なレストランで美味しい物を食べる

冗談に大笑いする

他人のちょっとした気遣いに触れる

お先にどうぞと譲ってもらう

善行を目撃する

 

そんなことの一つ一つに幸せを感じられることがハッピーに生きることにつながるのかもしれません。

 

ジョスランとフロランスという二人の格好いい主人公は、今までの人生の中で身につけた人生への処し方、人生の捉え方を少しずつ変化させてゆきます。小さな発見とそれを真摯に受け止めてゆくことでそれぞれの気持ちがちょっとずつ変化していくことで人生は変わっていく。嘘から始まった恋を嘘で終わらせないそんな二人の姿を見ながら私も自分の人生にトライする、自分の人生を創造していく勇気を与えられたように感じました。

 

自分の人生を創造するということについては、この映画だけでなく、最近読んだこちらの本からも実は多大な示唆を受けました。

 

クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育 (リアリティ・プラス)

クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育 (リアリティ・プラス)

 

 

 

「創造社会の学びと教育」という副題にあるように教育の本ですが、成人になってる私にも創造することの重要性や可能性を教えてくれる本です。

 

クリエイティブ・ラーニングに絡めて、デューイの次の言葉を引用したい。

「あらゆる探求と発見は、その中に含まれているあらゆる危険を冒して、なお個人を作ることを含意している。というのは、新しい真理と展望に到達することは、変わることだからである。古い自我は、捨て去られ新しい自我のみが形成されつつあり、その自我が最終的に取得した形態は、冒険の予見できない結果にかかっている。」(デューイ『探求と自然』)

 

 つくることは、学ぶことであり、変わることなのである。(『クリエイティブ・ラーニング』P.131)

 

 

 創造するとは、何か物を作ることだけでなく、自分の人生についてもあてはまること。探求と発見によって新しい自我が形成される。そうやって変わっていく自分を見てみたい。目標を決めてそれに向かって進んでく自分でいる時期が長かったけど、身近なできごとや物事や現象を受け止めて、そこからの影響を受け止めて自分を変化させていく生き方をする時期が来たのかなって思いました。50代の自分には、現状からいろいろな気付きを得て変化を繰り返す生き方が合っているのかもしれません。そうすれば、無理に目標を探す必要もないし、なんとなく立てた目標が達成できなくて落ち込むこともない訳だし。

 

そう考えてみると今までピンとこなかったヴィクトール・E・フランクルが『夜と霧』の中で語った言葉が腑に落ちるような気がしました。

 

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす 義務を引き受けることにほかならない。

(『夜と霧』P.129)

 

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

今を楽しむ気持ち。今ここにある物たちや人々に感謝する気持ち、今のかけがえのなさを感じることを大事にしてゆきましょう!