マーク・ボイル 『無銭経済宣言』
共感できるところがいっぱいあったけど、実践はなかなか難しい。だって、著者のお金を使わない方法が徹底的!なので。野生の食べ物の採集から入浴の方法など、知恵と工夫と相互の助け合いで乗り切っていく技がすごすぎる・・・
お金の流通、経済の発展が人間同士のつながりを希薄化し、たくさんの社会問題や環境問題を引き起こしている、というのが作者マーク・ボイルがお金のない生活を始めた理由。
いまやぼくらは人生の参加者ではなく消費者になりはてた。 それもすべて、人生を金銭に換算してきた結果である。どんな物にももともと金銭的価値があるのだから売ったり買ったりできる、と考えられるようになってしまった。今日 「経済成長」 と呼ばれているのは、自然的・社会的・文化的・精神的な共有物の単なる金銭換算にすぎない。土壌、美術、音楽、教育、もてなし、健康・・・・・。母性や地球の金銭的価値までが討議されている。商品化によって、これらに本来備わっていた意味や真正性がはぎ取られ、ありふれたサービスのひとつになる。資格を有する他人から購入可能なサービスに。誰もが取りかえのきく機械の歯車と化すなかで、コミュニティなど成立するだろうか。やりとりする相手が見ず知らずの人ばかりで、孤独感をいだかずにいられるものだろうか。(マーク・ボイル 『無銭経済宣言』 P.51)お金には三つの機能がある。交換機能、価値を測る尺度の機能、そして保存機能。本来はお金は道具なのに、今はお金を稼ぐこと、貯めること自体が目的となっていて、そのことが人を悩ませている。お金がたくさんある人はもっとお金を増やすことに夢中になり、お金をたくさん持っていない人は、もう少しお金があったなら、と考えてしまい、どちらの場合も今の生活に満足できない。金額はただの数字に過ぎないのに、その末尾に円がつくだけで、人の心をざわつかせる。 人のプライドもお金の多寡で測られてしまうように感じるし、自分の人生もお金に制約されるように思えてしまう。そういうお金至上主義の考え方にいつのまにか支配されている自分に気付かされた驚きの本でした。 少し前まで、日本の農家もお金に頼らない暮らしをしていたと思う。自給自足と助け合い。 いつのまにかそんな共同体にお金がからんできて、一方で田舎独特の近所づきあいの意識は残っているので、つきあいにかかる費用の工面が家計を圧迫。年金収入でやりくりしていた義母の姿が思い出される。中途半端が一番不幸。 今となっては、昔のような自給自足と助け合いの社会には戻れないけど、お金だけのつながりではなく、人と人とのつながりをもう少し取り入れた消費生活が求められているのかな。でも、著者は倫理的な消費には否定的。
ぼくに言わせれば、倫理的な消費主義など存在しえない。(マーク・ボイル 『無銭経済宣言』 P.56)お金に制約されているのは、私の心。お金から距離を置いて考えることができたら、もう少し自由に生きることができるかもしれない。