映画 『パターソン』
日常。 なんだけど詩的。
詩は日常から生まれる。
パターソンはバスの運転手。
いつも普通のノートを持ち歩いていて、始業前、昼休み、始業後に詩を書き留めている。
妻がいて犬がいて近くにバーがあってよく散歩する。
詩を書いているパターソンは、ときどき街で詩人に出会う。
コインランドリーで、道端で、公園で、詩人は出会った詩人に声を掛ける。
発表するあてのないものを書いたって何にもならないって思うかもしれないけど、書かないと出会えないのかもしれない、自分と同じことに気付いている人に。
映画を見終わって映画館の外に出ると、いつもの街が詩的に見える。
小雨の降る歩道。
前を歩くサラリーマンのテンポよく歩くリズム。
工事現場の交通整理のおじさんのしわだらけの顔。
雨が降ってるのに傘を逆さにしてベランダで干している家。
並んだ柱の同じ部分に横に入ったひび割れ。
木から落ちた色づいた葉っぱ。
ここにも詩があったこと、今まで気が付かなかった。
『パターソン』 は詩の世界の入り口。今まで私がいたのは数字の世界。
三次元、四次元を超える世界への扉を詩が開いてくれる。
詩の世界はいつも私たちの側にある。
映画は、数字や言葉だけでは表せない世界を見せて、私たちにメッセージを送っている。
そのメッセージを読み取ることが私の仕事だと思いたい。