スーホの日記

これからの人生のために!

映画 『否定と肯定』 の原作本

映画 『否定と肯定』 を見て確認したいことがあったので、映画のヒロインである研究者リップシュタットが書いた原作本 『否定と肯定』 を読みました。 原作本は裁判の詳細な記録。映画では描かれていない論点もたくさん登場し、ホロコースト否定論者が様々な観点から否定論を展開していたことがよくわかりました。『アンネの日記』 の信憑性についても議論されているという記述に、正直驚きました。
アンネの日記』 には複数のバージョンがあり、これこそ日記が捏造である証拠だ、と否定者たちは主張する。(『否定と肯定』P.386)
当たり前だと思われていることを改めて事実であると検証するのは簡単なことではなく、手間と労力をかけて集めた裏付け資料を基にして精緻な論理形成で攻める弁護士チームの活躍に感動。記録の重要性と弁護士の弁論術に焦点が当てられて記述されており、裁判官を納得させる凄腕弁護士の法廷術がたくさん出てきます。頭脳はこういう風に使うべきなんだなぁーと訴訟を担当する弁護士(ランプトン)の細かい気配りにも感心させられる内容でした。 私が映画を見て知りたくなったことは次の二点。 ①裁判の最終局面で裁判官が放った、被告側を不安にさせた言葉はどういう言葉だったのか。(なんで被告側がその一言で衝撃を受けたか理解できなかった) ②判決が出た後に、敗訴したアーヴィングが被告側の弁護士に握手を求めるシーンがあったのだけど、それは実際にあったことなのか。(普通はそういうことしないと思うので) 答えは本の中にありました。 ①原作本『否定と肯定』 P.468より
「もし誰かが反ユダヤ主義者であり・・・・・過激論者であるとしても、それが本当にその人物の考えであるがゆえに、その考えを支持し、口にしているのなら、純粋なユダヤ主義者として認めてもいいのではないでしょうか?」 「わたしには、反ユダヤ主義というのはまったく別の申し立てであり、アーヴィング氏がデータを改竄し、記録を歪曲したという、被告側のより広範囲にわたる、おそらくはより重要であろうと思われる申し立てには、ほとんど関係がないように見えるのですが。それともなんらかの形で関係していると思われますか?」
という被告側への問いかけでした。なるほど!長い時間(5年に及ぶ裁判だったとか)をかけて30近くのホロコースト否定論の論拠の誤りを指摘した後でこのように裁判官に問われたら、今まで何をしてきたんだろう?と脱力感を感じても無理ないと思います。でも、一方で裁判官の問いかけも本質を突いているようにも思えます。だって、本を読んでると忘れちゃうんだけど、この裁判はリップシュタットが著書でアーヴィングを侮辱したとして名誉棄損で訴えられた裁判なのだから。 ②原作本『否定と肯定』 P.496
勝った。完全な勝利だった。グレイ裁判官が法廷を出るときに、アーヴィングが立ち上がり、ランプトンのほうを向いて片手を差しだして、「いい勝負だった」 と言った。ラグビーの試合で負けたばかりのような言い方だった。ランプトンはおざなりにアーヴィングの手をとったが、黙ったままだった。
握手してた! とっさだったので、習慣的に握手してしまったのかもしれませんが・・・。アーヴィングにとってのこの裁判の意味は、勝訴だけが目的ではなかったのかもしれません。ニュースとして大きく扱われること、彼の存在とホロコースト否定論を世の中に周知することも大きな目的の一つだったのかなとこのシーンを読んで思いました。 映画では、ホロコーストの生存者に証言させない方針に対するリップシュタットの苦悩が大きなテーマになっていたけど、原作では、その部分はあっさりと書かれています。どのように原告のホロコースト否定論者アーヴィングの主張を覆していくのか、どうやってホロコースト否定論者の論理形成が誤っているのかを30近くの論点それぞれを取り上げて論破していく法廷闘争の全記録なので、ホロコースト否定論についての知識のない私には当初は読みにくい~という印象でしたが、慣れてくるとなるほどねぇーと思うことがたくさんあって興味深い本でした。読んでよかった!