残された たくさんの物
9月2日の朝日新聞に内田也哉子さんのインタビュー記事が掲載されていて、ある一文にハッとする。
父の遺品を整理すると、部屋は物であふれていた。赤いソックスやサングラスがたくさんあって。所有しない母とは正反対。おかしくて笑ってしまいました。 (2019年9月2日付朝日新聞より)
義母の家も物であふれてたから、一緒だと思って。
私の悪口を決して言わなかった義母。
干渉せずにいてくれて、本当にありがたいと思っているけど、義母の家を見ると心の中には不満がいっぱい渦巻いていたんだなぁと感じずにはいられない。
実際、真面目に働かない亡くなった義父にはいつも文句を言ってたし、子ども達にとっても厳しい母で夫は小さい頃は義母に叩かれたり、怒られたりで大変だったみたい。
外から見たら本当のその人のことはよくわからない部分もあるけど、残された家の中をみたら、心の荒れ模様は一目瞭然。
同じようなタオルや皿、袋類、引き出物の数々。残された物のほとんどが何の意味もない物たちに見える。長年手放せなかったのはなぜだろう。何かに対する執着に思える。誰か他の人がそこに物を置くのを阻止するために、家に物を溜めていたのかな。
執着の対象が何かはわからないけど、その対象すら何の意味もないものだと外から見る私には思えてしまう。
そんなものは手放して心も家もすっきり身軽に生きた方が楽なのにね。
それができなかった義母の苦しさを思うと私も苦しい気持ちになります。
でも、実は家の中と同じな濃厚、過剰な人だったのかもしれません。
私はいろんなものを吐き出して楽しく生きていくほうを選びます。
樹木希林さんを見習うべし。