映画『ショコラ~君がいて、僕がいる』
人種差別、才能、嫉妬、金、博打、劣等感、栄光と挫折、恋、愚かさ
などなど、一本の映画にこれだけのものが詰まっているってなかなかない。
人に笑ってもらうことと自分が笑われることは違うけど、
人に笑ってもらうということは自分を晒すことなんだね。
格好いい自分じゃなくてダメな自分を晒して懸命に表現しないと笑ってもらえない。
でも、ダメな自分を晒してると少しづつ "自分" が削れてゆく。その削れたものを取り返すために人には "何か" が必要。
フランス人の芸人フティットにとっての "何か" は黒人芸人のショコラだったんじゃないかな。ショコラの無邪気な愚行がフティットを支えてたように見えた。
ショコラも自分を支える "何か" を探して、もがいていたのに "何か" を手にする道のりは険しかった。それはショコラが黒人だったからなのか、浪費したり、博打したりと破天荒な生活をしたからかはわからない。お金や称賛だけでは "何か" 足りない。夢や希望が本当の支えになると気づいても、それは目に見えないものだから本当に夢に向かっているのか常に不安だった。そんなショコラの葛藤が伝わってきます。
それは、誰もが一度は感じたことがある感情。
だから、人を笑わせ続けることは難行なんだと思う。
又吉直樹の小説 『火花』 にもそのことが描かれていた。
生き方全てが漫才であり続けようとした漫才師 神谷さんの話。
神谷さんを尊敬し師匠と呼び漫才の道を歩んだ青年が主人公。
主人公も神谷さんも神谷さんの相方も神谷さんの恋人もみんないい人だった。誰かを踏み台にしてのし上がろうとか、誰かと比べて悦に入るような人は出てこない。みんなそれぞれの人生を生きてる。だから読んだ後爽やかな気持ちになるんだね。
夢や希望がある人はそれを実現させるべく努力するのが一番健全な生き方だと気づく。
そう感じたピースの相方の綾部はアメリカに行こうと思ったのかな。ピースというリアルなコンビの今後の動向から目が離せなくなりました。『ショコラ』 でもなく 『火花』 でもない人間同士のドラマが今後展開されてゆくのでしょうか。