スーホの日記

これからの人生のために!

映画『ブルックリン』

1950年代。 アイルランドから単身ニューヨークへ。姉の知り合いの牧師の紹介でデパートで働きながら、夜学に通って簿記を習い、知り合ったイタリア人男性の影響でアメリカでの生活に馴染んでいくエイリッシュ。 映画の中で、その当時のアイルランドアメリカよりも閉鎖的な土地柄として描かれていて、経済もふるわず活気がない。渡米前に週に一度アルバイトしていた食料品店の店主はケチで意地悪。ひいきの客には優先的に品物を回し、それ以外の客にはお愛想もなし、という風に客をあからさまに選別する。開放的でデパートの客を区別しないアメリカでイキイキと働き、学ぶエイリッシュの姿は、見ているこちらも元気がもらえる。 経済力の差というのは、こういう形で現れるものなのかな。一人一人がイキイキと働く社会だから経済にも活気があるのか、経済が活況な状態だから、イキイキと働けるのか。これは映画なので演出なのかもしれないけれど、その辺のことが気になるところ。働く私には、今が好況なのか不況なのかよくわからないので、好況でも不況でも働いている側に変化はないというのが本当かもしれない。一億総活躍社会がイメージする社会は、好況時のアメリカなのかな。 エイリッシュは一時帰国したアイルランドで、アメリカに渡る前には付き合わなかった人と出会い、同じ土地で違う世界を知ることになる。どこにでも素敵な場所があり、素敵な人がいるけれど、自分の殻を破って成長しないと素敵な場所を見つけることはできない。そして、違う世界を見つけても、その時の情熱に突き動かされたある決断で将来が決定づけられしまうことに後から気づくこともある。人生ってそういうものなのかなと後半はホロリとさせられました。 ここでなぜか松井久子監督の作品のことが思い出される。 愛する人を追ってやってきた日本で取り残される"レオニー"の無力感、"何を怖れる"の激動の時代を背負いながら今を生きる女性の姿。 情熱を傾けたもの、人、コトへの囚われを描き続ける監督の作品。苦悩しながら、ゆっくりと別の道への一歩を踏み出そうとする女性像。日本という国は、なぜこんなにも何かを決定するときに、深く深く沈思しなければならないのだろう。そして、その決断を後からまた試される、日本はそんな国なのかなと思う。松井久子監督は、そこに留まらざるをえなかった人に光を当てる人なんだね。そして、日本もそこに留まらざるをえない人を切ることができない国なんだろうな、と思う。 アメリカとアイルランド(日本)、好況と不況、前向きと温故知新。 いろいろあるけど、エイリッシュは前を向いて生きていく。その潔さがまぶしい映画です。